宮沢りえの母親の昔は?若い頃は?りえママ?画像は?異父兄弟?死因は?肝腫瘍?

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女優の宮沢りえさんが、2016年1月2日に、関西テレビ・フジテレビ系で放送された「新春大売り出し!さんまのまんま30周年SP」に出演しました。

番組では、今年7歳になる1人娘が、亡くなった母親似であることなどを語りました。

宮沢りえさんは、2009年4月に、ハワイ在住の元プロサーファーと結婚されましたが、2012年5月に離婚協議中であることを公表されました。

その後、離婚が成立したという話は、伝わっていません。

今回は、映画にドラマにCMに大活躍の女優、宮沢りえさんの母親に注目してみました。

宮沢りえ

本名   宮沢りえ(みやざわ りえ)
生年月日 1973年4月6日(42歳)
出身地  東京都練馬区
身長   168cm
血液型  B型
事務所  エム・ツー企画


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宮沢りえの母親の昔は?若い頃は?りえママ?

宮沢りえさんは、日本人の母親とオランダ人の父親を持つハーフです。

11歳で雑誌「週刊セブンティーン」の表紙モデルとなりました。

1987年、CM「三井のリハウス」の初代リハウスガール「白鳥麗子」役を務めました。

人気絶頂期に「ふんどしカレンダー」、写真集「Santa Fe」などで話題を集めました。

また、マネージャーを務めていた母親の宮沢光子(みやざわ みつこ)さんの存在が注目されました。

宮沢りえさんの母親は昔、六本木でホステスをしていた時に、宮沢りえさんの父親にあたるオランダ人と交際し、宮沢りえさんを出産します。

宮沢りえさんの母親である宮沢光子さんは、若い頃は、ほっそりとしていて可愛らしく、六本木界隈では、かなり評判だったようです。

宮沢光子さんが若くて独身の頃に、加賀まりこさんと仲が良かった時期がありました。

加賀まりこさんは「光子ちゃんは、りえちゃん以上の美貌で、バレエもやっていたからスタイルも良く、周りの男性全ての羨望の的で、まさに高嶺の花的な人だった。人形のように、物凄く美しかったのよ」と語っています。

その後、赤ん坊だった宮沢りえさんを、タクシー運転手をしていた自分の父親に預け、自身は夫のオランダ人とオランダに渡りました。

オランダに渡った母親の宮沢光子さんは、夫の家族とうまくいかず離婚してしまいます。

日本へ帰国した宮沢光子さんは、引き取った娘の宮沢りえさんをモデルにしようと考え、この時から「りえママ」として、宮沢りえさんのプロデュースを始めます。

三井のリハウスのCMでの、白鳥麗子役の初々しさは、衝撃的でした。

りえママこと宮沢光子さんが若い頃に、加賀まりこさんと仲が良かったという話も衝撃的ですが、宮沢りえさんのように、可憐で美しかったのですね。

加賀まりこさんの若い頃の可愛らしさにも、驚きです。

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画像は?異父兄弟?

実は、宮沢りえさんには、生き別れとなっていた異父兄弟となる実弟がいる事がわかりました。

2014年10月2日発売の「週刊文春」(文藝春秋)で、その異父兄弟がインタビューに応じています。

これまでの報道では、ほとんど公になっていなかった実弟の存在ですが、知られざるエピソードが、多数明かされています。

宮沢りえさんの実弟は、宮沢光子さんが、りえさんの実父であるオランダ人の夫と別れた後、再婚したピアニストの男性との間に生まれていたそうです。

しかし、宮沢光子さんは出産後すぐに、りえさんを連れて家を出てしまい、以来音信不通なのだそうです。

この事実は、実弟が20歳の時に初めて家族から明かされ、それまでは父親のことを兄、また祖父母のことを両親と信じて育っていたそうです。

そして、宮沢りえさんと宮沢光子さんとの再会は、果たせていないそうです。

宮沢りえさんのオランダ人の実父は、成長した宮沢りえさんを見て、若い頃の宮沢光子さんにそっくりだとおっしゃっていたそうです。

そして、宮沢光子さんが再婚したピアニストの男性との間に生まれた、宮沢りえさんの弟。

このエピソードからも、宮沢りえさんの母親の宮沢光子さんの若いころは、とても魅力的で、周りの男性達を虜にしていたという事がわかりますね。

死因は?肝腫瘍?

宮沢りえさんの母親で、所属事務所「エム・ツー企画」の代表取締役を務め、「りえママ」と呼ばれて、注目を集めた宮沢光子さんが、肝腫瘍によって、65歳の若さで亡くなられていたことが、2014年9月24日、明らかになりました。

小学校5年生の時に、子供服のポスターでモデルデビューして以来、芸能界の荒波を母娘の二人三脚で乗り越えてきた、りえさんと光子さん。

宮沢りえさんは、母親の光子さんが息を引き取った当日(23日)も、公演中の舞台に穴をあけることなく、役者業をまっとうしました。

宮沢りえさんは、長い間、摂食障害に苦しんできましたが、それも母子関係が原因だったと見られています。

マスコミは、宮沢光子さんのステージママぶりを「一卵性親子」「母子一体」と表現してきましたが、その呪縛から解き放たれたからこそ、さまざまなスキャンダルや苦難を乗り越え、宮沢りえさんは、女優として再起できたのかもしれません。

母子2人の歩みをこうして振り返ると、母親の最期に「私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」とコメントした宮沢りえさんのこの言葉は、力強く響いてきます。

確かに母親との別れによって、宮沢りえさんの中で何かが変わったのかもしれません。

これからは、自分のペースで、女優業をまっとうしてもらいたいと思います。

以上が、映画にドラマにCMに大活躍の女優、宮沢りえさんの母親特集でした。

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