政府は、2019年4月9日(火)、2024年度をめどに紙幣を刷新すると発表しました。
1万円札の肖像画は、現在の福沢諭吉さんから渋沢栄一さんに。
5千円札は、樋口一葉さんから津田梅子さんに。
千円札は、野口英世さんから北里柴三郎さんに、切り替わります。
全体的なデザインも一新し、従来のお札とは、肖像画や数字、文字の配置・デザインも変わります。
今回は、細菌学者であり、「日本の細菌学の父」「近代日本医学の父」とも称される北里柴三郎さんの父親に注目してみました!
北里柴三郎の父親は庄屋
北里柴三郎さんは、肥後国阿蘇郡小国郷北里村(現・熊本県阿蘇郡小国町)で生まれました。
父親の北里惟保(きたざと・これのぶ)さんは、庄屋を務めた、温厚篤実で几帳面な人物。
母親の北里惟保(きたざと・てい)さんは、豊後森藩士加藤海助の娘で、幼少時は江戸で育ち、嫁して後は庄屋を切りもりしていました。
柴三郎さんの教育に関しては甘えを許さず、親戚の家に預けて厳しい躾を依頼しました。
闊達な性質で、柴三郎さんの指導者としての性格は母譲りといわれています。
柴三郎さんは8歳から2年間、父の姉の嫁ぎ先の橋本家に預けられ、漢学者の伯父から四書五経を教わりました。
帰宅後、母親の実家に預けられ、儒学者園田保さんの塾で漢籍や国書を学び4年を過ごしました。
北里柴三郎の名言
阿蘇での子供時代は、負けず嫌いの暴れん坊だったそうです。
18歳で医学を志す道筋を与えた熊本医学校のオランダ人医師マンスフェルトさん、ドイツ留学時代に師事したコッホさん、そして福澤諭吉さんが、柴三郎さんの三大恩人です。
出会う人に恵まれたし、出会った人に対する報恩の精神が、柴三郎さんは人一倍強かったとの事。
1894年8月25日には、北里柴三郎さんはペスト菌を発見。
そして、北里柴三郎さんは、その後の研究や、北里研究所、慶応大学医学部の設立などの数多の功績を残し、日本医学界では「細菌学の父」として燦然とその名が輝いています。
また、北里柴三郎さんは、数々の心にしみる名言を残しています。
「医者の使命は病気を予防することにある」
「研究だけをやっていたのではダメだ。それをどうやって世の中に役立てるか考えよ」
「細菌学者は、国民にとって命の杖とならねばならない」
「熱と誠があれば、何事でも達成する」
などなど、どれも北里柴三郎さんの熱い性格がわかるような名言ですね!
北里柴三郎のあだ名は「雷おやじ」
北里柴三郎さんといえば、「ドンネル」というあだ名があったそうです。
ドイツ語で「雷おやじ」。
「雷おやじ」がニックネームだったのは、お母様の性格に似ていたからかもしれません。
いわれは、規律に厳しかったことにあるそうです。
同僚でも弟子でもたるんだヤツが大嫌いで、徹底的に雷を落としました。
しかし、人前で怒ることは絶対に避けたとの事。
相手がやる気をなくしては意味がない、という配慮があったからです。
そうやって任せたあとは、遠くから眺めるだけで口出ししなかったので、弟子たちは研究に集中しました。
好んで揮毫した言葉は「任人勿疑 疑勿任人(人を任ずるに疑うなかれ、疑って人を任ずるなかれ)」。
そうした人間味を含めて、「雷おやじ」のニックネームがついたようです。
以上、今回は、細菌学者であり、「日本の細菌学の父」「近代日本医学の父」とも称される北里柴三郎さんの父親特集でした!