麻生太郎財務相は、2019年4月9日(火)の記者会見で、1万円、5000円、1000円の紙幣(日本銀行券)を全面的に刷新すると発表しました。
1万円札の肖像画には、日本の資本主義の父とされる渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)さん。
5000円札には、津田塾大の創始者で女性教育の先駆けとなった津田梅子(つだ・うめこ)さん。
1000円札には、近代医学の発展に貢献した北里柴三郎(きたざと・しばさぶろう)さんが用いられます。
裏面は、新1万円札に東京駅丸の内駅舎、5000円札に藤の花、1000円札に富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」が採用されます。
500円硬貨も素材などが変更されます。
紙幣の刷新は2004年以来となり、新紙幣の発行は2024年度上期ごろになる見通しです。
今回の紙幣の刷新は、最新の偽造防止技術を反映させるのが主な目的。
政府は新元号「令和」の制定から間を置かずに公表することで、新時代の幕開け機運を高める狙いもあるようです。
麻生財務相は会見で、「国民各層に広く認められている方を選んだ」と説明。
また、「20年ごとに刷新し偽造に対する抵抗力を確保する」と述べました。
今回は、「日本の資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一さんの父親に注目してみました!
渋沢栄一さんの実家は豪農だった?
渋沢栄一さんは、天保11年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市血洗島)で生まれました。
父親は、渋沢市郎右衛門元助さん(1810年~1871年)。母親は、エイさん。
渋沢栄一さんの実家は、藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける豪農でした。
豪農とは、多くの土地を所有し、ある程度の権勢をも備えた、富裕農家のことです。
なので、渋沢栄一さんは、かなり裕福な家庭にお生まれになったという事がわかります。
また、原料の買い入れと販売を担うため、一般的な農家と異なり、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められました。
栄一さんも父親と共に、信州や上州まで藍を売り歩き、藍葉を仕入れる作業も行いました。
14歳の時からは、単身で藍葉の仕入れに出かけるようになります。
この時の経験がヨーロッパ時代の経済システムを吸収しやすい素地を作り出し、後の現実的な合理主義思想に繋がったといわれます。
渋沢栄一さんは裕福な家庭に生まれただけでなく、商業的なセンスが育まれる環境で育った事がわかります。
「右手にそろばん、左手に論語」
一方で5歳の頃より父親から読書を授けられ、7歳の時には従兄弟の尾高惇忠(おだか・あつただ)さんの許に通い、四書五経や『日本外史』を学びます。
剣術は、大川平兵衛さんより神道無念流を学びました。
19歳の時(1858年)には、惇忠さんの妹である尾高千代さんと結婚します。
このように、渋沢栄一さんは、家業の畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝う一方で、幼い頃から父親に学問の手解きを受けていました。
そして、従兄弟の尾高惇忠さんから本格的に「論語」などを学びます。
渋沢栄一さんは、人生において、常に「論語」を処世の基本理念としていました。
道徳経済合一説、いわゆる「右手にそろばん、左手に論語」を唱え、第一国立銀行に創立をはじめ、500社にものぼる企業の設立・育成に関わりました。
幼い頃に父親の渋沢市郎右衛門元助さんと従兄弟の尾高惇忠さんから受けた教育の影響がとても大きかった事がわかります。
勤勉で起業家精神に富んだ父親
渋沢栄一さんは、現在の現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれましたが、その実家は今も立派に保存されています。
父親の渋沢市郎右衛門元助さんは、学問を好み、勤勉にして厳格。
起業家精神に富み、養蚕と藍玉製造を通じて財をなし、名字帯刀を許される豪農となりました。
父親は息子の栄一さんにも、早いうちから藍の葉や藍玉の仕入れを手伝わせました。
また、母親のエイさんは、慈愛に満ちた心優しい女性だったようです。
公衆浴場にハンセン病の患者が入場してきた時、他の入浴客が嫌がって逃げ出す中、彼女だけはいつに変わらぬ態度で接し、一緒に入浴していた、という逸話が残されています。
いつの世も、教育は家庭に始まるということがわかります。
渋沢栄一さんの人生と業績は、つまるところ父親の勤勉さと起業家精神、母親の高い倫理観と慈愛の心に集約されるのかもしれませんね。
以上、今回は、「日本の資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一さんの父親特集でした!