田中裕二さんとの漫才コンビ爆笑問題として、テレビやラジオで大活躍中の太田光(おおた・ひかり)さん。
お笑いタレントとしてだけでなく、文筆家、作詞家としても活動されています。
そんな太田光さんは、埼玉県上福岡市(現・ふじみ野市)出身で、現在53歳です。
父親は、太田三郎さんで、母親は太田瑠智子(おおた・るちこ)さんといいます。
父親の三郎さんの職業は建築士で、書道も嗜んでいて、文学やお笑いにも造詣が深かったそうです。
太田さんの父親の三郎さんが、焼き肉チェーン店「叙々苑」の、最初に六本木にできた店舗を設計したというのは有名な話。
そして、「叙々苑」の看板の文字も三郎さんが書いたそうです。
一方、母親の瑠智子さんは、女優志望で、俳優養成所に所属していたこともあります。
なので、太田光さんは、幼い時から母親に連れられて舞台を観にいっていました。
また、女優志望だった瑠智子さんは発生が得意だったために、寝る時には必ず息子に本を毎晩読み聞かせていたそうです。
現在の太田光さんの多方面に渡る活躍は、両親による影響が多きのかもしれませんね。
今回は、テレビやラジオで大活躍中の爆笑問題の太田光さんの母親に注目してみました!
太田光の母親と波平の関係とは?
爆笑問題の太田光さんの母親である太田瑠智子さん。
画像を見てみるとその外見は、息子の光さんをちょっと丸顔にした感じです。
なので、太田さんは母親似ということになるでしょう。
瑠智子さんは、独身時代は女優を志していて、劇団に所属していたこともあったそうです。
そして、なんと「サザエさん」で波平の声をしていた故・永井一郎さんと親しかったそうです。
結婚前は、父親である三郎さんと永井さんのどちらを生涯の伴侶にするか悩んでいたそうです。
とっても才能豊かな男性から好意をもたれていたという事は、かなり魅力的な女性だったのでしょうね!
そして、最終的に瑠智子さんが伴侶に選んだのは、建設会社の社長だった太田三郎さん。
一人息子の太田光さんは、生活全般に渡って母親任せで、自分では洋服も買ったことがなかったほどでした。
母親の瑠智子さんが爆笑問題の生みの親?
そして、女優志望だった母親の影響か、光さんは日大芸術学部演劇学科に進学。
その入試会場で現在の相方である田中裕二さんと運命の出会いを果たします。
その後、大学を中退して、田中さんとお笑い新人コンテストに出場し、太田プロからスカウトを受けます。
このように見てみると、爆笑問題誕生のきっかけとなったのは、母親の瑠智子さんの存在があったとも思えます。
太田光さんは、1990年に現在の奥さんである光代さんとご結婚されます。
そして、お二人の結婚式をセッティングしたのは、母親の瑠智子さんだったそうです。
サプライズの結婚式が成功すると、瑠智子さんは「うまくいった」と、とても喜んでいたそうです。
その後、2011年に夫である三郎さんが、脳梗塞と心筋梗塞で倒れると、夫の自宅での介護は瑠智子さんの仕事になりました。
老々介護は大変でしたが、「自分がいる間は施設にいれない。他人に面倒は見せられない」と頑張っていたそうです。
2012年に三郎さんを見送った時には体はボロボロに。
しかし、それでも毅然とした態度は変わらなかったそうです。
両親に感謝している太田光
そんな瑠智子さんも2016年11月8日に、肺気腫による呼吸不全でお亡くなりになりました(享年83歳)。
2014年の夏に道で転んで骨折をして入院していた瑠智子さん。
息子の光さんの自宅から15分の介護施設で生活していました。
母親の最期を看取った光さん。
光さんは母親の脈が下がると、瑠智子さんが好きだった「愛の讃歌」と「バラ色の人生」の2曲を聴かせました。
ぴったり2曲を聴き終わった時に、心臓の数値がゼロになったそうです。
東京・青山葬儀場で営まれた葬儀・告別式で喪主としてあいさつをした太田光さん。
あいさつでは4年前に死去した父親の三郎さん(享年83歳)にも触れました。
「おやじからは人を楽しませることを学んだ」と告白。
母親である瑠智子さんについては、
「弱音をいわない、かっこよくて強いおふくろでしたが、子供のころ本を読んでもうらのが楽しみで、
物語や小説に興味を持つきっかけをくれました」と真面目に振り返りました。
「おやじとおふくろからは、生き方のすべてを学びました」と両親に感謝した太田さん。
「おふくろは、介護施設で仲間とコーラスを楽しんでいました」と関係者にも感謝していました。
以上、今回は、テレビやラジオで大活躍中の爆笑問題の太田光さんの母親特集でした!