宮里藍の父親の職業は元公務員 選挙に落選しティーチングプロに転身

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女子プロゴルファーの宮里藍さん(31)が、2017年5月26日午後4時、今季限りで現役を退く意向を表明されました。

マネジメント会社を通じ、29日に記者会見を開く予定です。

宮里藍さんと言えば、2000年以降の国内女子ゴルフ界の隆盛をけん引してきた第一人者。

2009年にはアメリカ女子ツアーのエビアン・マスターズで念願の米ツアー初勝利を手にしました。

父親の優さんの指導の下、ゴルフ一家の3兄弟の末っ子として育ちました。

長男の聖志さん、次男の優作さんはともにプロゴルファーです。

今回は女子ゴルフで長年活躍してきた宮里藍さんの父親&母親に注目してみました。

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父親の現在の職業はゴルフのティーチングプロ

宮里藍さんは、沖縄県国頭郡(くにがみぐん)東村(ひがしそん)で生まれました。

「藍」という名前の由来は父親が辞書で調べると最初の方に出てくる名前で、トップがとれるようにという意味がこめられているとのことです。

父親のは宮里優さんで、母親は宮里豊子さん。

長兄は宮里聖志さんで、次兄は宮里優作さんです。

宮里藍さんの父親である優さんは、現在沖縄でゴルフのティーチングプロをされています。

プロゴルファーには、競技に参戦して賞金を得る「ツアープロ」と、ゴルフを教えることで生計を立てる「ティーチングプロ」とがいます。

ティーチングプロとは、「レッスンプロ」とも呼ばれます。

優さんもツアーに参加して経験はあるそうですが、あまり成績はパッとしない無名のプロゴルファーだったそうです。

しかし、指導することに関しては才能があったようで、ご自身の3兄弟を一流のツアープロに育て上げました。

公務員だった父親が選挙に立候補するも落選

宮里藍さんが生まれ育った沖縄県・東村を訪れてみると、宮里藍さんはこの村ではシンボル的な存在にあんっていて、宮里家も東村の中心的な家となっているそうです。

しかし、実は宮里家には苦しんだ過去というものがありました。

それは1991年4月21日の出来事で、この日東村では村長選挙がありましたが、実はこの村長選挙に宮里藍さんの父親の優さんが立候補したのですが、惜しくも落選していまったのです。

優さんは公務員の仕事をしていましたが、それまでの村政停滞に不満を持っていた若者たちに担がれて、仕事を辞めて出馬しました。

結果は微差での落選。

狭い村を二分する選挙だったため、敗けてしまった優さんは、その日から村八分に。

仕事を辞めて立候補した優さんは、無職になってしまいます。

選挙の落選らから宮里家は、どん底の生活を余儀なくされてしまいます。

失職した優さんは、沖縄県中、仕事を探し回りましたが、何度となく政敵から妨害が入り、定職につけないでいました。

収入は公務員であった母親の豊子さんの収入だけという生活が続きました。

貯金ゼロのギリギリの生活でしたが、なんとか耐え抜き、父親の優さんは、2年間の浪人生活を経て、ゴルフ場のレッスンプロとして再出発することができました。

父親がレッスンプロになると、自宅から30分以上も離れた、そのゴルフ練習場に通い、宮里藍さんはゴルフに打ち込んでいったのでした。

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公務員の仕事をがむしゃらに頑張った母親

選挙に出馬するの父親の優さんの職業は教育委員会に勤める公務員でした。

優さんは、非行に走る子供を抱えた家族や会話のない家族など、様々な家庭環境を見てきたそうです。

そのことから、自分の家族ではみんなで楽しめることを見つけようと考え、それがゴルフだったとの事です。

しかし、プロに育てたいという考えはなく、家庭団欒が目的で、子供たちにはゴルフを楽しんでもらいたいという気持ちしかなかったそうです。

そして母親の豊子さんは、ピアノの音が聞こえる和やかな家庭にしたいとの思いから、藍さんにピアノを習わせていました。

そしてゴルフよりもピアノの道に進んで欲しいと考えていたとの事です。

しかし、宮里藍さんは小学校5年生の時に、ピアノではなくゴルフを選びました。

そして父親の優さんがティーチングプロの資格のために勉強していた時期は、公務員である母親が一人で働いていました。

ボーナスには手を付けることなく、子どもたちのジュニアの大会の遠征費に充てたそうです。

夕方には一旦帰宅して夕食を作り、また職場に戻る、といったこともあったようで、がむしゃらに頑張ったそうです。

一生懸命に協力しあい、お互いのために、そして子供たちのために頑張る両親の姿が、宮里藍さんを一流のプロゴルファーにまで育てたのかもしれませんね。

以上、女子ゴルフで長年活躍してきた宮里藍さんの父親&母親特集でした。

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