
痛烈な毒舌で引っ張りだこのマツコ・デラックスさん。
CMはもちろん、バラエティーでも見ない日はないくらい人気タレントです。
マツコさんは、10億円貯めたら芸能界を引退すると宣言していたそうですが、一説には年収6億円説もあり、すでにそれを超えているとも言われています。
マツコさんは、週刊誌のインタビューで自分自身について「親の育て方がよかったのかどうか、人でなしになるほどのはずし方はできない人間なんですよ」と分析しています。
今回は舌鋒鋭いコメントで人気を博し、テレビで見ない日はないマツコ・デラックスさんの母親に注目してみました。
マツコ・デラックスの両親は昭和一桁生まれ
マツコ・デラックスさんは、1972年10月26日生まれの現在44歳で、千葉県千葉市花見区出身、本名は松井貴博(まつい たかひろ)。
マツコさんの両親は昭和の一桁生まれで、戦中、戦後の激動の時代を生きてきました。
マツコさんによると、実家はエアコンにしても、CDプレイヤーにしても、家に入るのがよそ様よりは5年は遅れていたそうです。
両親は、より快適に生きよう、より便利に生きよう、より豊かな暮らしをしようみたいな発想が微塵もない人たちで、掃除機だった、洗濯機だって、新しく買った方が安いのに、ずーっと町の電気屋さんに修理頼んで、買ったときと色が違う状態になるまで使っていまた。
そんな環境で幼少期を過ごしてきたマツコさんは、時空がちょっと自宅だけ歪んでいたような気がしていたそうです。
マツコ・デラックスさんの父親は寡黙な人だったのに対し、母親はサバサバした性格の人で、マツコさんは母親のことが大好きだったとの事。
お母さんは体型も話し方もマツコさんにそっくりで、特にあごのラインと目元は瓜二つだったそうです。
マツコ・デラックスさんの両親は昭和の一桁生まれ。
激動の時代の風の中で、戦前、戦中、戦後、高度成長、バブル、みんな見続けていらっしゃいました。
マツコさんの母親性格はさっぱりしていて、そんな母親を大好きだったマツコさんの現在の活躍は、お母様の影響を受けてのものなのかもしれません。
母親が39歳の時の子供
マツコ・デラックスさんは母親が39歳の時の子供です。
マツコさんは、両親に自身の職業や暮らしぶりなど、一切説明したことがなかったそうです。
何度か「大丈夫なの?」と尋ねられたことはありますが、マツコさんは回答を避け、両親も執拗に迫ることはありませんでした。
マツコさんは自身の複雑な状況を、穏やかに暮らす両親に説明し、理解してもらうこと自体が身勝手だと感じていたのでした。
そのため「これはもう結果を出して、それで納得してもらうしかないな」と考え、あえて話さなかったと説明しています。
そんなある日、マツコさんの気持ちを見透かすかのように、母親から手紙が送られてきました。
マツコさんは母親を大好きだったようですが、自身の複雑な事情に関しては、ご両親とじっくりと話したことはなかったそうです。
無理に自分の状況を納得してもらおうとしなかったマツコさんに、ご両親もあまり深く詮索はしなかったのでしょう。
そんなマツコさんの元に、母親から一通の手紙が送られてきました。
マツコが号泣した母親からの手紙
「今年の正月、腰の手術をしてつえを使わなければ歩けなくなった母から、初めて明白に、アタシのテレビを見ているという内容の手紙をもらったの。そして最後は、『今日も5時の生放送を見ます』で締められていたわ。女装した息子をずっと母派見ていたのよ。アタシ、思わず大笑いしちゃったわ。そして、孤独ではない自分を再確認し号泣したわ」
(2011年 『愚の骨頂 続・うさぎとマツコの往復書簡』より)
マツコさんは、この手紙について「(母は)手紙でもこういうことを言う人ではないので…『このタイミングで言ってあげたほうがいいんじゃないか』って、きっと母が機転をきかせた気がします」と語っています。
母親はマツコさんのことを、「太りすぎだ」と注意する以外は、何も言わず見守ってくれる人物だったそうです。
そんなマツコ・デラックスさんの母親は2016年に、82歳でお亡くなりになりました。
女性セブン2016年7月14日号には、「マツコ・デラックスと母『号泣の手紙』静かな絆の物語」として、マツコさんが亡くなった母から大きな影響を受けていたことが延々と書かれていたそうです。
マツコさん自身も、ものの見方、考え方について戦前生まれの両親、特に母親から影響を受けてきたと常々語っています。
マツコさんは、おそらくご両親は自分のことにあまり関心がないと思っていたのかもしれません。
しかし、いつもテレビに出ている息子を見守っていた母親の手紙に、号泣したと同時に、自分は孤独ではなかったことを再確認したそうです。
今回は舌鋒鋭いコメントで人気を博し、テレビで見ない日はないマツコ・デラックスさんの母親特集でした。