
2017年1月20日に大統領就任式を控えたドナルド・トランプ次期米大統領。
就任式を前に、ロシアがトランプ次期大統領の「不名誉な情報」を握ってると報じられたり、政権移行期間の仕事ぶりに関する世論調査で、半数を超える51%が「支持しない」との結果が出たり。
良くも悪くも注目を集めるトランプ次期大統領。
大統領就任式を前に、連日ニュースでその名前を聞かない日はありません。
今回は次期大統領として世界中から注目を集めているドナルド・トランプの父親に注目してみました。
ニューヨークでドイツ移民の子として生まれる
ニューヨーク市ブロンクス区ニューヨーク市ブロンクス区ニューヨーク市ブロンクス区ドナルド・トランプ次期大統領の父親であるフレッド・トランプは、ニューヨーク市ブロンクス区にて、エリザベス・クライストとフレデリック・トランプのもとに生まれました。
姉にエリザベス・トランプ・ウォルターズと弟のジョンがいました。
フレッド・トランプの父親で、ドナルド・トランプの祖父にあたるフレデリック・トランプは、元々の名をフリードリヒと言い、1885年16歳の時に、ドイツ・プファルツ地方の小都市であるカルシュタットからニューヨーク市に移民してきた人物でした。
当時は、入国管理官が移民の名前の綴りを間違えることがよくあり、トランプという名字も、ニューヨークの入国管理局で、もともとの綴りである「Drumpf(ドルンプフ)」ではなく、「Trumpf(トランプフ)」として登録されました。
フレデリックは1901年に裕福な男となってカルシュタットに帰郷し、かつての隣人の娘であったエリザベス・クライスト会い、プロポーズしました。
1902年8月26日に2日は結婚し、ニューヨークに移住。
1904年には娘のエリゼベスが生まれ、1905年10月11日にはニューヨークのクイーンズで息子のフレッドが誕生し、1907年には次男のジョンが生まれました。
ドナルド・トランプの父親であるフレッド・トランプは、ドイツ移民の両親の息子として、ニューヨーク市ブロンクス区で生まれました。
「トランプ」という名前は、当時の入国管理官が移民の名前の綴りをよく間違えたことに原因があるようです。
もともとの綴りは「Drumpf(ドルンプフ)」だったのを、「Trumpf(トランプフ)」と登録されてしまし、その後現在の「Trump(トランプ)」となったようです。
母親とともに不動産会社を設立
1907年の後半には、一家はクイーンズのウッドヘブンに引っ越し、祖父であるフレディックはそこで家族と暮らしながら、マンハッタンのウォールストリート60番地で理髪店を経営し、大成功をおさめました。
しかし、1918年5月のある日、フレディックは散歩中に突然ひどく気分が悪くなり、ベッドに駆け込み、そのまま息を引き取ってしまいました。
初めは肺炎と診断されましたが、後にスペインかぜにかかった最初期の患者であることがわかりました。49歳でした。
残された妻のエリザベスは、3人の子供を養うために針子として働きました。
ドナルド・トランプの父親であるフレッド・トランプはこの時13歳でしたが、フレディックが亡くなったため、学校の放課後には木材を建築現場に運ぶ「馬方」として働かなくてはなりませんでした。
その後、フレッドは夜学の高校に通い、建築業に興味を抱きました。
大工としての仕事を身につけ、図面を読めるようになり、見積もりを憶えれば、母親のエリザベスに無理をさせずにすむと思ったようです。
1920年にはわずか15歳で不動産業・建設業を始め、「エリザベス・トランプ・アンド・サン」という会社を母親のエリザベス・クライスト・トランプとともに設立します。
フレッドの母親であるエリザベスは名義貸しをしたのではなく、実質的な経営者であり、フレッドが21歳になるまでは小切手にサインするのは、彼女の役割であった。
1923年には800ドルを母親のエリザベスから借り、ニューヨーク市クイーンズ区ウッドハーベンに最初の家を建設して7000ドルで売り払う。
1927年、フレッドが22歳の時にエリザベス・トランプ・アンド・サンは正式に株式会社化しました。
企業の社屋のほか、ニューヨーク市ブルックリン地区やクイーンズ地区で低所得者層向けのアパートなどを建設しました。
一方で、1927年のメモリアル・デーに、白人至上主義団体のKKK(クー・クラックス・クラン)の集会に参加して逮捕されたと報じられましたが、ドナルド・トランプはこれを否定しています。
また、父親のフレッドは、1973年には黒人にアパートを貸すことを拒んだとして司法省に訴えられたこともあります。
1930年代半ばには世界大恐慌のさなかに、ウッドハーベンにてトランプマーケットという名のスーパーマーケットを展開し、「自分で買うのは安心だ!」という広告で瞬く間に人気店となった。
しかし、わずか1年後にキング・カレンというスーパーマーケット・チェーンに売り払っている。
ドナルド・トランプの父親であるフレッド・トランプは、13歳の時に父親を亡くし、母親を助けるために、働き始めました。
そして母親と共に、不動産会社である「エリザベス・トランプ・アンド・サン」を設立しました。
「エリザベス・トランプ・アンド・サン」には、後々息子であるドナルド・トランプも入社し、共に働くことで父親から帝王学を学んだのかもしれません。
晩年は6年間アルツハイマー病を患った
1939年にフレッドはスコットランド系移民のメアリー・アン・マクラウドと結婚しました。
ドナルド・トランプの母親となるメアリー・アンはスコットランドのルイス・ハリス島に生まれ、1930年5月2日にグラスゴー発のイギリス郵船に乗り、18歳の誕生日の翌日にニューヨークに到着しました。
乗船者リストの仕事欄には姉であるメアリー・ジョアンと同じく「メイド(屋内で家事労働を行う)」と記されていました。
ドナルド・トランプの父親であるフレッド・トランプの性格は、友達をつくったり社交の場で活躍したりするのに必要な人当たりの良さや社交性はなく、「上手な話し方と人付き合い」教室に通ったりしていたそうです。
一方でドナルドの母親のメアリー・アンは気が強く活発な女性で、パーティーの中心になるような愛嬌と度胸があり、人を楽しませるタイプで、夫とは対極の性格でした。
フレッド・トランプとメアリー・アン・マクラウドには5人の子供がいました。
年長から順に、メアリー・アン(アメリカ合衆国連邦裁判所判事)、フレデリック・フレッド・ジュニア(1981年没)、エリザベス(チェイス・マンハッタン銀行の重役秘書)、ドナルド(第45代アメリカ合衆国大統領)、ロバートである。
フレッド・ジュニアは父フレッドに先立ち、42歳でアルコール中毒の合併症で亡くなっている。
1968年には息子のドナルド・トランプが22歳でエリザベス・トランプ・アンド・サンに入社し、1974年には社長に就任し、1980年に社名を「トランプ・オーガナイゼーション」に変更した。
父親のフレッドがブルックリン区・クイーンズ区に固執する一方で、ドナルドはマンハッタン区で不動産業を始めることとなりました。
ドナルドはのちに「知っての通り、成功者の息子は父という競争相手を持たざるを得ません。私は父と別の地区で仕事することで、マンハッタン区を独り占めできたのです」と述べました。
フレッド・トランプは晩年、6年間アルツハイマー病を患いました。
1999年6月に肺炎を発症し、ニューヨーク市ニューハイド・パークにあるロングアイランド。ユダヤ人メディカルセンターに入院し、数週間後に93歳で死去しました。
妻のマリー・アンは続く夏に88歳で死去しました。
ドナルド・トランプの父親であるフレッド・トランプは、意外なことにあまり社交的なタイプの人間ではなかったようです。
一方で、母親のメアリー・アンは明るく活発な性格だったようで、フレッドは自分が持っていないものを持っている女性をパートナーに選んだのかもしれません。
以上が、次期大統領として世界中から注目を集めているドナルド・トランプの父親特集でした。