三宅宏実の父親はメキシコ五輪で銅メダルを獲得した三宅義行

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リオデジャネイロ五輪・女子重量挙げ48キロ級で2大会連続のメダルを狙う三宅宏実さん。

三宅宏実選手は、4大会連続のオリンピック出場となり、2004年のアテネ五輪では9位、2008年の北京五輪では6位。

そして、2012年のロンドン五輪では、見事に銀メダルを獲得しました。

今回のリオ五輪では「表彰台の階段を上れるように頑張りたい」と意気込みを語っています。

三宅宏実さんの父親であり、監督でもある三宅義行さんも、「一番高いところ」を目標に掲げています。

今回は、リオデジャネイロ五輪・女子重量挙げ48キロ級代表の三宅宏実さんの父親に注目してみました。

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三宅宏実の父親はメキシコ五輪で銅メダルを獲得した三宅義行

ロンドンオリンピック48キロ級の銀メダリストである三宅宏実さん(30)。

三宅宏実さんの父親は、1968年にメキシコの首都であるメキシコシティで行われたオリンピックの重量挙げフェザー級で銅メダルを獲得した三宅義行さん(70)。

また、三宅宏実さんの伯父の三宅義信さん(76)も元重量挙げの選手で、1960年のローマオリンピックで銀、1964年の東京オリンピック・1968年のメキシコオリンピックで金メダルを獲得しています。

メキシコシティオリンピックでは、重量挙げフェザー級で兄の三宅義信さんが金メダルを獲得、弟の三宅義行さんが銅メダルを獲得し、兄弟揃って表彰台に立つ姿が話題を呼びました。

オリンピックの個人種目において、同じ大会の同じ種目に兄弟で表彰台に立ったのは、日本ではこの一例だけだそうです。

三宅宏実さんには、兄が2人いて、次兄は重量挙げ男子77キロ級で過去4度の優勝経験がある全日本王者で全日本女子チームのヘッドコーチも務めた三宅敏博さん(41)で、長兄も重量挙げの競技経験者です。

三宅宏実選手は、父親の三宅義行さん、伯父の三宅義信さんもメダリスト。

2人いるお兄さんも重量挙げの競技経験者という重量挙げ一家の末娘として生まれました。

三宅宏実さんは、当初は重量挙げに興味がなかったそうですが、2000年のシドニー五輪の観戦がきっかけとなって、重量挙げの世界に身を投じます。

三宅宏実 ロンドンオリンピックで銀メダルを獲得

三宅宏実さんの父親である三宅義行さんは、1968年メキシコ五輪の銅メダリストです。

しかし、三宅宏実さんは幼い頃は、スポーツにはあまり関心がなかったそうです。

音大出身の母親である三宅育代さん(66)は、娘に自分と同じピアノの先生になってほしいと思っていました。

オリンピックで重量挙げ女子が正式種目になったのは、2000年のシドニー五輪から。

三宅宏実さんが重量挙げを始めるきっかけとなったのは、このシドニー五輪の女子重量挙げ53キロ級で7位に入賞した平良(旧姓:仲嘉)真理さんがバーベルを掲げる姿に憧れたからだそうです。

そして、父親の義行さんに重量挙げを始めたいと言った三宅宏実さん。

最初は取り合ってくれなかったそうですが、意志の固さに最後は父親の義行さんが折れました。

こうして、父親との二人三脚の練習が始まりました。

そして、3度目の五輪であるロンドンオリンピック重量挙げ女子48キロ級で銀メダルを獲得しました。

「父の首にメダルをかけたい」。

競技を始めて12年、3度目の五輪でやっとつかんだ悲願のメダルでした。

2004年のアテネ五輪、2008年の北京五輪、2012年のロンドン五輪。

3大会連続の出場となったロンドン五輪で、三宅宏実選手は悲願の銀メダルを獲得しました。

父親との二人三脚で獲得した銀メダルには、父親の三宅義行さんにとっても最高のものだったのでしょう。

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三宅義行の兄である三宅義信もメダリスト

三宅宏実さんの父親である三宅義行さんは、宮城県柴田郡村田町出身です。

宮城県村田街は蔵王連峰を望む風光明媚な地域で、子どもの頃は木登りや竹スキーで遊んでいたそうです。

三宅義行さんは7人家族で、父親の栄三郎さんは農作業する傍ら、農閑期は東京へ働きに出ました。

母親であるたけさんは泣き言一つこぼさず、笑顔を絶やさない人だったそうです。

戦後間もない時代、暮らし向きは楽ではありませんでしたが、義行さんは両親の背中を見て活発な少年に育ちました。

豊かな自然は基礎体力を養ってくれました。

三宅義行さんは重量挙げを始めたのは、宮城・大河原高(現大河原商高)1年の時。

兄である三宅義信さんが、1960年ローマ五輪で銀メダルを獲得したのに刺激されました。

「俺もあんちゃんのようになりたい」

重量挙げ、三宅義行さんにとって、その道に入るのは必然といえました。

大人になればなるほど、競技にのめり込み、持ち前の怪力と負けず嫌いな性格が非凡な才能をみるみる開花させていきました。

高校3年でインターハイ3位となり表彰台に上がりました。

進学先の法政大学では頂点だけを見据えました。

「なれると信じた。『そうでないとおかしい』と」。

1日延べ60トンを挙げ、練習は7時間に及んだ日もありました。

19歳の時に、1964年の東京五輪で兄の三宅義信さんが金メダルを獲得しました。

「兄が世界チャンピオンだったから自分もそうなると見られた。周りはそれが当たり前と思っていたが、こっちは大変だったよ」。

ひたむきに練習に取り組む姿勢こそが、三宅義行さんと世界を結ぶ接点になりました。

しかし、代償は大きく、過度な重量に挑み続けたため、体のあちこちが悲鳴を上げました。

両ひじ、両ひざ、手首…、腰にはチタンが入っています。

「120針以上を縫った。もう切る所はない」。

痛みは今も癒えず、やや前かがみになって休まないで歩けるのは500メートルがやっと。

「痛いのは生きている証拠だ」、額に刻まれた深いしわに手を添えながら苦笑いしました。

ぼろぼろになった体は全てを懸けて競技と向き合ってきた証し。

「ウエートリフティングに出会ったから今日がある。人生そのもの。多くの方々に育ててもらったな」。

この道一筋50年以上、現在ではウエートリフティングに対して感謝の思いに包まれているそうです。

三宅宏実さんの父親である三宅義行さんは、ウエートリフティングのストイックな練習のせいで、体はボロボロになってしまいました。

しかし、ウエートリフティングは人生そのもので、感謝の思いで溢れているそうです。

娘の三宅宏実さんもリオ五輪の直前練習では、ひどい腰痛に悩まされている現状です。

腰痛との戦いに打ち勝ち、金メダル獲得を目指す三宅宏実選手を応援しています。

以上が、リオデジャネイロ五輪・女子重量挙げ48キロ級代表の三宅宏実さんの父親特集でした。

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