馬術 武田麗子の父親は武田薬品工業の元会長 家訓は運・根・鈍

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リオデジャネイロ五輪障害馬術の日本代表選手である武田麗子さん(31)。

武田麗子さんは、武田薬品元会長武田國男さんを父親の持つ「お嬢様ライダー」。

武田選手は、障害馬術で2012年のロンドン五輪に続く2度目のオリンピック出場となります。

メンタルの課題を克服し、今年の4、5月に行なわれた選考のための試合や合宿で代表の座を射止めました。

動物好きが高じて、中学1年から競技を始めたヒロインは、「脱お嬢様」を果たして、日の丸を背負います。

今回は、リオ五輪障害馬術の日本代表選手・武田麗子さんの父親に注目してみました。

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武田麗子の父親は武田薬品工業の元会長

美人すぎるライダーとして有名な武田麗子さんは、生粋のお嬢様。

1984年12月14日に兵庫県神戸市に生まれ、現在は31歳。

家族は両親と姉と兄。

武田麗子さんの父親の武田國男(たけだ くにお)さんは、1940年1月15日に神戸市の住吉村で生まれ、現在は76歳。

武田國男さんは、武田薬品工業元代表取締役会長CEO、日本経済団体連合会副会長、関西経済連合会副会長を務めています。

武田薬品工業株式会社は、日本の製薬会社で、タケダ、Takeda、武田薬品との略称されます。

日本の医薬品企業での売上高は1位であり、世界の医薬品企業の売上高順位でも16位となります。

武田薬品の製品で一般的にも有名な商品としては、「アリナミンV」「新ビオフェルミンS錠」「ベンザブロックS」などが挙げられます。

美人すぎるライダーとしてお馴染みの武田麗子選手。

父親の武田國男さんは、大企業・武田薬品工業の元会長。

その商品名は誰もが耳にしたことがあるはず。

武田國男さんは2003年に会長に就任

武田麗子さんの父親である武田國男さんは、神戸市の住吉村で父親である武田鋭太郎さんと、母親である繁子さんの三男として生まれました。

長男の彰郎さん、次男の誠郎さんとの三兄弟。

1955年に甲南高等学校に進学、山岳部に所属します。

1958年に甲南大学経済学部に入学しますが、授業について行けず、大学時代は、三宮のパチンコ屋に通うのが日課であったそうです。

1962年に武田薬品工業に入社し、経理部事業計算課に配属されました。

1993年に社長に就任し、2003年6月に会長に就任。

2009年6月に会長を退任。相談役や顧問などの役職には就きませんでした。

株主総会では「私も来年に総会から皆さんと同じ株主席に座る事になる。その立場から武田薬品の成長を今後も見守っていきたい」と語りました。

武田麗子さんの父親である武田國男さんは、大学時代は無為の生活を送っていましたが、武田薬品工業に入社すると、その実力を開花させます。

会長時代には、会社の大改革を成功させます。

現在でも株主として、会社の発展い貢献されています。

武田家の家訓 運・根・鈍

武田國男さんが武田薬品工業会長を務めていたときには、周囲に祖父や父親が好んだ「運・根・鈍」の書を置いていたそうです。

一般的には、ビジネスなどで成功する秘訣として、「運・鈍・根」が必要と言われています。

「運」は天運に恵まれること、「鈍」はささいなことにこだわらず神経が太いこと、「根」は根気強いこと、この3つが必要だという意味になります。

しかし、武田家の家訓は「運・根・鈍」の順番です。

武田國男さんは父親から「三男坊に経営者となる可能性が巡ってきたのだから、お前には運がある。ただ、運は、努力せんと逃げてしまう。目標に向かってこつこつ根気よくやれば、いつかは報われる。根だ。秀才は、パッと先を見て動き、逃げ道もみつけるから、伸びないことがある。だから、もう一つ必要なのが鈍だ。純粋に努力するのが、鈍や」と言われたそうです。

しかし、武田國男さんはそのようなことを尋ねられても、「そんなこと、考えておりませんよ」と笑ってそらすそうです。

恥ずかしがり屋の一面、それも、リーダーとしての魅力。

そんな武田國男さんが24時間、365日、武田薬品のことばかり考えていたことを、部下たちは、よく知っていたそうです。

商売の成功法則の秘訣として、耳にすることも多い「運・鈍・根」。

武田家の家訓は、鈍と根を逆にした「運・根・鈍」だそうです。

武田國男さんは、1年中寝ても醒めても会社のことを考え続けていたようですね。

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脱お嬢様でリオ五輪代表の座を射止める

そんな武田國男さんの娘である武田麗子さんは、中学1年生の時に体験乗馬のチラシを見て、馬に乗ったのが始まりでした。

もともとウサギやカメ、リスを飼うほどの動物好き。

すぐにのめり込み、甲南女子高1年時から電車で2時間かけ、大阪の杉谷乗馬クラブに通いました。

ロンドンで夏季五輪最多タイ5大会連続出場となる杉谷泰造さんに習い、実力アップ。

ロンドン五輪には師匠と同時出場を果たしました。

しかし、武田麗子選手はロンドン五輪で挫折を味わってしまいます。

1次予選で71位と大敗し、大舞台での精神面の弱さを痛感し、一時はリオデジャネイロ五輪出場をあきらめかけていました。

しかしその後、師匠である杉谷泰造さんの元を離れ「脱お嬢様化」を目指し、メンタルの課題を克服し、見事リオデジャネイロ五輪代表の座を射止めました。

脱お嬢様を果たした武田麗子選手のリオデジャネイロ五輪での活躍を期待します。

ロンドン五輪では精神面の弱さから大敗してしまった武田麗子選手。

脱お嬢様でリオ五輪では、リベンジを狙います。

以上が、リオ五輪障害馬術の日本代表選手・武田麗子さんの父親特集でした。

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