競泳・リオデジャネイロ五輪日本代表の入江陵介(いりえ りょうすけ)選手。
入江陵介さんは、大阪府大阪市天王寺区出身。
近畿大学附属高等学校を経て、2008年4月に近畿大学法学部に入学。
近畿大学附属高等学校時代の成績は常にトップクラスであったため、そのルックスとともに文武両道を立派にこなすエリートとしてマスメディアで報じられることが多いです。
高校時代の成績は3年間でオール5。
入江陵介さんは、ピアノも得意で、相当の腕前だそうです。
高校進学時は水泳を選んで競泳選手になるか、ピアノを選んで音楽家になるかで迷ったとの事。
母親からは「音楽家に育てたい」と言われましたが、結果として水泳を選択しました。
今回は、競泳・リオ五輪日本代表でメダル候補の入江陵介さんの父親&母親について注目してみました。
入江陵介の父親の職業は生花店での仕入れ業
リオ五輪の競泳で萩野公介(21=東洋大)選手と並ぶメダル候補の入江陵介(26=イトマン東進)選手。
リオ五輪に向けて調整中の入江陵介選手。
道浦健寿コーチは「あまり弱音を吐かなくなった」とリオにかける愛弟子に目を細めます。
ここまで入江陵介選手が意気込むのも、ひそかな思いがあるから。
2016年の今年、父親である入江智英(いりえ ともひで)さんが退職されます。
入江陵介選手は五輪でメダルを獲得して、それを「退職祝い」にしたいという思いを持っているそうです。
父親である入江智英さんの職業は、大阪の生花店で仕入れ業を営んでいるそうです。
智英さんは、入江選手が3歳のころから妻である入江久美子さんとともに、プールに送り迎えしていたそうです。
3人兄弟の末っ子で甘えん坊の入江陵介さんは、結果が出ずにしょげ返ることもしばしばでしたが、そんなときに励まし続けたのが父親の智英さんでした。
その父親が退職するとなれば、奮起しないはずがありません。
「当日は会場に両親が来るんです」と嬉しそうに語る入江陵介選手。
「自身の集大成」と位置づけるリオ五輪で、悲願の金メダルを退職祝にすることができるでしょうか。
いよいよ決戦の地の到着した入江陵介選手。
気力充実・体調万全で大会に臨んでほしいですね。
ブラジルのサンパウロに到着しました🇧🇷 pic.twitter.com/C0N1SyG2T9
— 入江陵介 (@ryosuke_irie) 2016年7月19日
リオデジャネイロ五輪では、メダル獲得の期待がかかる入江陵介選手。
今回のオリンピックでは、入江選手は胸に秘めた強い思いがあるようです。
それは、今年退職を迎える父親への金メダルのプレゼント。
果たして献身的にサポートしてくれた父親への恩返しはできるのでしょうか。
大きな影響を与えた兄・晋平
入江陵介選手は、大阪・天王寺の実家近くのスイミングスクールに通い始めたのは、幼稚園に入る前の3歳頃。
姉である入江南緒(いりえ なお)さんと兄の入江晋平(いりえ しんぺい)さんが行っていたからが理由で、自分から言い出したわけではないそうです。
母親の入江久美子さんによると「手のかからない子でした。あの子に『ダメ』ということを言ったことはないんじゃないでしょうか。水泳スクールにしても、楽しそうでしたが、親が勧めたから通っているという雰囲気で」
入江陵介選手の背泳ぎと同じく、自己主張せず周囲の溶け込む子どもでした。
入江陵介選手に大きな影響を与えたのが、3歳年上の兄である晋平さんです。
バタフライで小学校時代から注目され、大阪府では敵なし。
イトマン招待など全国レベルでも何度でも優勝しています。
その晋平さんが小学5年生のときに名門イトマンスイミングスクールの「育成選手」に選ばれて、大阪市住之江区の玉出校に通い出しました。
「じゃ、ついでに陵介君も来れば」と言われ、小学2年生の陵介さんも同じ学校に行くことになりました。
「陵介は、コネ入社なんです。同じ2年生でも育成選手に選ばれている子は、体格も泳ぎも陵介と格段に違うんです。陵介はいつも、育成選手の最後尾を泳いでいましたよ」
父親の智英さんは、語ります。
「最初は、ぜんぜんでした。まぁ、晋平を車で送っていくので、ついでに、陵介も乗せていくという日々でした」
そんな陵介さんが初めて自分から「背泳ぎをやらせて」とまわりにアピールを始めました。
中学に入る直前でした。
そして、大化けします。
入江家で子どもの頃に大きな期待を持たれていたのは、実は兄の入江晋平さんだったようです。
しかし、その兄の影響を受けていた入江陵介さんは、素晴らしい環境にいました。
そして、中学に入る直前に大化けする時がやってきました。
父親と母親の献身的なサポート
スポーツ選手の親は、大きく2つのタイプに分かれるそうです。
子どもの競技になるべく近づこうとする親と、距離を置く親。
入江陵介選手の父親の智英さんと母親の久美子さんは、後者だったようです。
母親の久美子さんによると「私たちがやったことと言えば、練習の送り迎えをして、ご飯を食べさせたことぐらいでしょうか。あとはイトマンの先生方にすべてお任せでした。だって、水泳はなんにもわからないのですから」
入江陵介選手は、小学校時代から中学3年生まで、大阪府住之江区のイトマンスイミングスクール玉出校に通っていました。
車で30分ほど、基本的には、学校から帰宅した入江陵介さんを父親が車で送っていき、母親が迎えに行く生活でした。
午後6時の練習開始に合わせて父親は家を出て、その間に母親は夕食の準備をする。
父親が帰宅して食べている途中に母親は出発し、午後8時の練習終了までにスクールに着く。
帰って陵介さんに食事をさせていると、兄の晋平さんが帰ってくるので、また夕食を作る。
意外ですが、入江陵介さんは基本的に身体が強くありません。
小学校時代など、「また、貧血で倒れました」と電話を受け、母親の久美子さんは学校に急いだそうです。
「保健室に入ると、青白い顔をしてベッドに寝ているんです。それが、とても気持ちよさそうで。『授業はいいから、ずっと寝てなさい』と寝顔を見ていました。ついこの間のことみたいですね」
入江陵介さんは、食も細い。
まず、スポーツ選手としては信じられないほど食べる量も少なかった。
だから久美子さんは食べる回数を増やすことでカロリーを取らせました。
パンを食べさせるときも栄養価が高い菓子パンを出したり、チョコレートを絶えずポケットに入れておいて口に入れたり。
「小学校3年からは朝練習も始まり、午前5時過ぎの電車でスクールに行き、午前8時前にひとまず帰ってきて朝食を食べる。味はさておき、いかに栄養をつけさせるかだけに頭を使いました」
近畿大学附属高校に入った時、寮生活の選択肢もありましたが、イトマンの元会長に「陵介は家から通う方が絶対にいいよ」とアドバイスされました。
その言葉を、母親の久美子さんは「最高のほめ言葉」と受け止めたそうです。
入江陵介選手は、このような父親と母親の献身的なサポートによって、オリンピックのメダル候補にまで上り詰めました。
入江陵介選手のご両親は、水泳の経験者ではなかったため、指導に関しては水泳スクールの指導者に一任していたそうです。
しかし、水泳以外の食事面や精神面のサポートを献身的にされたご両親。
その努力が今回のリオデジャネイロ五輪で開花するのかもしれませんね。
以上が、競泳・リオ五輪日本代表でメダル候補の入江陵介さんの父親&母親特集でした。