永六輔の父親の職業はお寺の住職 無名に徹する一級の市井人

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元放送作家、作詞家、ラジオ番組のパーソナリティとして活躍していた永六輔(えい ろくすけ)さん。

1933年4月10日に東京府東京市出身で、本名は永孝雄さんと言うそうです。

パーキンソン病を患い、今年の2月から休養中でしたが、個人的には、永六輔さんといえば、TBSラジオのパーソナリティとしての印象が強いです。

TBSラジオの番組では、アナウンサーである外山惠理さんとの見事な掛け合いで、ラジオリスナーを楽しませてくれました。

今回は、坂本九さんの大ヒット曲「上を向いて歩こう」を作詞した永六輔さんの父親について注目してみました。

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永六輔の父親の職業はお寺の住職

永六輔さんは、1933年(昭和8年)に、代々東京・元浅草の浄土真宗のお寺・最尊寺の住職を務めていた永家の次男として生を受けました。

江戸時代初期に渡来した中国の学僧を先祖に持つ、在日外国人17代目と自称されています。

父親や祖父は「永」という姓を「ヨン」と名乗っていました。

東京・下谷区(現在の台東区)の国民学校に通っていた1944年(昭和19年)、学童疎開により長野県北佐久郡南大井村(現在の小諸市)の国民学校に転校し、そこで終戦を迎えました。

永六輔さんの父親のお名前は、永忠順(えい ちゅうじゅん)さんと言います。

職業は、浅草の小さなお寺の住職をされていました。

永忠順さんは、住職の仕事をしながら、インド哲学を研究されていて、生涯、翻訳や勉強などに没頭していました。

そして、体はあまり強い方ではなかったそうですが、92歳まで生きて、枯れ木が折れるように静かに亡くなったそうです。

永六輔さんは、父親の死から、死に方も教えてもらったと語っていました。

永六輔さんの父親である永忠順さんは、お寺の住職の仕事をしながら、インド哲学の研究にも没頭されていたそうです。

その道ではかなり有名な方で、実家のお寺には、いろいろな方が訪れていたそうです。

そのような環境に育った永六輔さんが、才能あふれる人物になったのは当然なのかもしれません。

父親の口癖は無名に徹する

永六輔さんの父親である永忠順さんは、欲も損もなく、もくもくと市井に生きた方でした。

永さんは、父親から生き方の全てを学んだような気がすると言っています。

しかし、父親の永忠順さんを知る人は、息子である永さんに、あのお父さんの子とは思えないと良く言われたそうです。

「無名に徹する」というのが、父親の永忠順さんの口癖で、永さんにも、よく言っていたそうです。

「偉くなったり、有名になっちゃいけないよ、自分を見失うから」と、いつもおっしゃっていたそうです。

しかし、息子である永六輔さんは目立ちたがりやで、有名になってしまいました。

そんな息子の活躍に、父親は喜んだりはせずに、永さんのことをずっと心配していました。

永六輔さんの父親である永忠順さんは、口癖が「無名に徹する」という市井人だったそうです。

しかし、息子の永六輔さんは目立ちたがりやというのは、不思議な話ですね。

永さんの父親は、病弱な方だったそうですが、永六輔さんの母親が日頃から体調を気遣ったことで、とても長生きされました。

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住職と芸能の仕事は似ている

永六輔さんは、父親の仕事であるお寺の住職に関して、芸能に近いところがあると言っています。

永六輔さんいわく、タレントさん達が芸能活動のことを仕事だと言うが、仕事をしているようなタレントさんって、あまり見たことがない。

遊んでいるか、悪ふざけしているようなもの。

そういう意味では、寺も同じようなものなんですよねと語っています。

法事などは仕事ではなく、歌ってしゃべっているのと、あまり変わはない。

お寺の存在というのは寄席みたいなもので、実家のお寺でも寄席をやっていますが、ぜんぜん違和感がないそうです。

永六輔さん自身もラジオで話していることは仕事ではないと思っていて、それは、苦労して修行して、なんてことは一切しなかったからだそうです。

永六輔さんは、お寺の住職の仕事も芸能の仕事も本質的には似ているという考えを持っていました。

ラジオおパーソナリティのお仕事も、とても楽しんでやられていたのでしょうね。

永六輔さんと外山惠理アナウンサーの楽しそうな掛け合いにいつも癒やされていました。

以上が、坂本九さんの大ヒット曲「上を向いて歩こう」を作詞した永六輔さんの父親特集でした。

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