中村獅童の父親は大御所に羽二重を投げ 歌舞伎役者を廃業

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名門の家計に生まれながらも、役に恵まれなかった遅咲きの歌舞伎役者である中村獅童(なかむら しどう)さん。

しかし、映画「ピンポン」で準主役の「ドラゴン」の役を射止めると、その演技が評価され快進撃を開始。

多数の映画やドラマに出演することになり、歌舞伎においても主演を務める。

2005年6月には、女優の竹内結子さんと結婚するも、2008年3月に離婚が成立。

その後、2015年1月には、元カリスマ読者モデルの足立沙織さんと再婚しました。

今回は、遅咲きの歌舞伎役者である中村獅童さんの父親に注目してみました。

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中村獅童の父親は大御所に羽二重を投げつけた

歌舞伎役者として活躍する中村獅童さん。

中村獅童さんの父親は、三代目中村時蔵さんの三男として東京府東京市で誕生しました。

本名は小川三喜雄さんといいます。

兄に二代目中村歌昇さんと四代目中村時蔵さんがおり、弟に萬屋錦之介さんと中村嘉葎雄さんがいます。

中村獅童さんの父親である小川三喜雄さんは、初代となる中村獅童を襲名しています。

弟の萬屋錦之介さんとはとても仲がよく、錦之助さんは自伝でも、そのつながりを綴るほどでした。

兄弟の中でも錦之助さんの才能は素晴らしく、その中で三喜雄さんは、「自分は役者に向いていないかもしれない」との思いを抱くようになっていました。

昭和23年、18歳になっても役者の手応えをつかめないでいた三喜雄さんは、弟の錦之助さんを叱りつけた大御所役者に反発し、その大御所役者に羽二重(被っていたかつら)を投げつけ、これをきっかけに役者を辞めると言い出しました。

母親は大反対で、大御所役者にも直接文句を言うほどだったそうですが、三喜雄さんは、歌舞伎役者を廃業し、銀行員になったそうです。

中村獅童さんは、正式には「二代目 中村獅童」というのですね。

父親の小川三喜雄さんが「初代 中村獅童」。

中村獅童さんの父親は、弟の萬屋錦之介さんを叱りつけた大御所八役者に羽二重を投げつけるという事件をおこしてしまいます。

大御所役者に反発することのできる気概をもった人物だったのでしょう。

廃業後の職業は銀行員や映画プロデューサー

中村獅童さんの父親である小川三喜雄さんが、歌舞伎役者を廃業した後に就いた職業は、銀行員でした。

その後、三喜雄さんの弟である萬屋錦之介さんに、映画出演のオファーが舞い込みました。

歌舞伎界は映画出演に大反対でしたが、錦之助さんは映画に出演。

さらに歌舞伎役者を廃業していた三喜雄さんは、映画プロデューサーを目指す事になります。

中村獅童さんの父親の小川三喜雄さんは、弟の錦之助さんを日本一の映画スターにするために映画プロデューサーとしての活動を開始します。

これまでにない斬新な時代劇を作ることで、弟の才能をいかそうとしたのでした。

狙ったのは青春時代劇というジャンルで、監督には澤島忠さんを抜擢。

そうして誕生した「江戸の名物男 一心太助」は5作ものシリーズが作られるほどに大ヒット。

手応えを掴んだ三喜雄さんは、次々と錦之助さん主演の映画を生み出していきました。

昭和36年、錦之助さんは三喜雄さんにシリアスな大作に挑戦したいと提案。

そして、これまでの錦之助さんのイメージとは異なる「宮本武蔵 巌流島の決斗」を完成させ、これが錦之助さんの代表作になりました。

しかし、この活躍を見て三喜雄さんは、自らの役割を終えた感覚を覚え、小さな輸入雑貨の会社を興しました。

中村獅童さんの父親である小川三喜雄さんは様々な職業を経験されています。

銀行員、映画プロデューサー、会社経営者など。

歌舞伎役者を廃業しましたが、才能あるれる方だったと思われます。

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父親は頑固で考えを曲げない人

中村獅童さんは、自らの父親である小川三喜雄さんについて、「死ぬまで頑固だった、一切考え方を曲げない人だった」と語っています。

中村獅童さんは1972年9月に誕生しました。

6歳の頃、獅童さんは歌舞伎の舞台に立ちたいと父親の三喜雄さんに言いましたが、猛反対されます。

それでも、中村獅童さんは8歳で初舞台を踏む事になりました。

中村獅童さんは父親について、子供の頃は一切芝居を見に来てくてなかったと語っています。

中村獅童さんは初舞台から17年後の25歳の時に、初めて目立つ役をもらいました。

父親である三喜雄さんは、知り合いの作家に誘われて観劇する事になったそうです。

実に50年ぶりの歌舞伎で演目は「瞼の母」でした。

芝居が終わっても、三喜雄さんは誰よりも長く拍手をおくったそうです。

その後、20代後半満足のいく役がもらえず苦しんでいた中村獅童さんは、2002年に映画「ピンポン」のオーディションを受けました。

監督の曽利文彦さんは当時を振り返り、オーディションに挑む中村獅童さんの希薄が物凄かったと語っています。

この「ピンポン」の出演がきっかけで、歌舞伎でも様々な役が舞い込んできましたが、有名になったあとも、獅童さんは自ら様々なオーディションを受けて「レッドクリフ」などの作品にも出演。

舞台「大和三銃士」では座長も任されました。

この舞台のポスターで中村獅童さんがこだわったのは、端役の人であってでも、写真つきで紹介することだったそうです。

中村獅童さんの父親である小川三喜雄さんは、かなり頑固だったようですが、息子の晴れ舞台では、誰よりも喝采を送ったという感動的なエピソードがあります。

中村獅童さんの、映画「ピンポン」出演後からの大活躍にも人一倍喜んでいたのでしょう。

以上が、遅咲きの歌舞伎役者である中村獅童さんの父親特集でした。

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