舛添要一前知事の辞職に伴う都知事選について、自民党の小池百合子元防衛相が6月29日に記者会見を開き、立候補の意向を表明されました。
小池百合子さんの生い立ちを調べてみると、父親が天下国家について語るのが日常会話の家で育ったことがわかりました。
百合子さんの父親の小池勇二郎さんも実は、衆院選に出馬された経験があります。
小池百合子さんが政治家として活躍することができたのも、この父親の影響が強かったようです。
今回は、注目の東京都知事選に立候補を表明。小池百合子さんの父親に注目してみました。
小池百合子の父親の職業は貿易商
小池百合子さんの父親の名前は、小池勇二郎さんといいます。
海軍中尉、満鉄経理部、野球チーム「満鉄クラブ」でのポジションはショート。
軍隊から復員後は、商売で財をなし、石油会社など4つ経営。
関西経済同友会の幹事や全国中小貿易連盟の理事を務められました。
小池百合子さんの実家は兵庫家芦屋市ということなので、かなり裕福な家庭で育ったことが予想されます。
1956年、ナセル・エジプト大統領の時に、エジプトに進出。
1969年リビアのカダフィ大佐にラジオ(短波が聴ける松下電器製)を大量にプレゼント、「革命も良いけどBBCを聴け」というメッセージだったそうです。
神戸市で医療関連の貿易商を営んでいた勇二郎さんは、石原慎太郎さんによる将来的な新党結成を見据えた「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて、旧兵庫2区から第32回衆議院議員総選挙に立候補するも、落選。
その後、カイロで日本料理店「なにわ」をはじめる。
パーレビ元国王やその王子なども利用していたそうです。
小池百合子さんは、カイロ大学に留学されていましたが、はじめは東京の大学が希望でした。
父親の勇二郎さんは「遠いからダメ」と言っていましたが「カイロに行きたい」というとすんなり許してくれたそうです。
小池百合子さんは留学中に、第四次中東戦争に遭遇されました。
小池百合子さんの実家は兵庫家芦屋市だそうです。
芦屋市といえば、裕福な方が多く暮らしていることで有名です。
小池百合子さんに品があるのも、そのような環境で育ったからかもしれませんね。
天下国家の話が日常会話
小池百合子さんは、父親の勇二郎についてインタビューに答えたことがあります。
父親の勇二郎さんは、石油製品を取り扱う小さな貿易会社を経営し、世界中を飛び回っていたそうです。
オランダへの出張から帰ると「あの国はすごいよ。海抜より低いところでも暮らすための国家戦略がある」などと、小学生の兄と百合子さんに語ったりしました。
国家がどうあるべきかという話は、いつも小池家では日常会話でした。
「国家の基本はエネルギーだ。日本は石油禁輸から戦争や南進に踏み切った。アラブ産油国とのつながりは重要だ」などと話していたそうです。
弁が立ちすぎ、天下国家を語り始めると止まらなかった。
「あ、また同じ話が始まった」と、兄と百合子さんは一緒にパーッと逃げ出してしまうほどでした。
天下国家を優先し、自分や家族は後回し。
でも人助けには全力を尽くす人だったそうです。
小池家の日常会話は、天下国家の話だったそうです。
小池百合子さんが政治家になったのも、当然なのかもしれません。
父親の勇二郎さんは、自分のことより他人のことを優先する人物だったそうです。
衆議院議員総選挙に出馬するも落選
小池百合子さんの父親の勇二郎さんは、三島由紀夫さんの「盾の会」の人たちの世話や、当時の石原慎太郎さんの活動を熱心に支援していました。
そして、1969年には、衆議院議員総選挙に出馬。
当時、小池百合子さんは高校1年生でしたが、「よせばいいのに」としらけて見ていたようです。
選挙活動ではアルジェリア情勢とか遠い話ばかりして、見事に落選。
その後も事業はそっちのけで、いつも国家を優先。
結局、事業も失敗し家屋敷も取られ、借金だけが残りました。
おかげで、小池百合子さんは親を当てにせず、自立が早かったそうです。
父親の勇二郎さんは、ほとんど家にはいなかったようです。
百合子さんは、家族旅行に行った記憶もないとの事。
それでも世界や日本の話を伝えてくれたことが、血となり肉となったわけで、ユニークな父親には感謝されています。
小池百合子さんのカイロ留学についても「それは面白い」とすぐに賛成しました。
リスクを取ってでも、自分で動く。
「考えすぎるよりは、思い切っていけ」という気宇壮大な方だったようです。
小池百合子さんは、父親の生き様から多くを学んだそうです。
確実な情報をもとに戦略を練った上で、最後はリスクをとるという勇気がある父親の小池勇二郎さんでした。
そんな小池勇二郎さんですが、2013年5月、90歳で亡くなりました。
特別養護施設に入居していて、最後は病院で息を引き取ったそうです。
その日の午後、小池百合子さんは母親と一緒に見舞いにいき、自宅に戻ったのですが、深夜3時に容体が急変してしまいました。
父親の死に目にあえなかったことを、今でも小池百合子さんは残念に思っているそうです。
あまりに天下国家を憂うばかりに衆院選に立候補までしてしまった小池勇二郎さん。
考えてばかりいないで、どんどん行動していこうという考え方にはとても共感します。
以上が、注目の東京都知事選に立候補を表明。小池百合子さんの父親特集でした。