自民党の小池百合子衆院議員(63)が6月29日午前、東京都内で記者会見を開き、舛添要一さん(67)の辞職に伴う、東京都知事選への出馬を表明されました。
東京都知事選は、7月14日告示で31日投開票が行なわれます。
政治資金流用流用問題で東京都知事を辞任した舛添要一さんの後任ということで、注目を集めている今回の都知事選。
櫻井俊さんの出馬なども取りざたされていますが、まずは小池百合子さんが出馬を表明されました。
今回は、熟考した結果都知事選に立候補された小池百合子さんの母親について注目してみました。
小池百合子の母親の名前は恵美子
小池百合子さんの父親である小池勇二郎さんは、2013年5月に90歳で亡くなりました。
晩年、父親の勇二郎さんは特別養護施設に世話になり、最後は病院で息を引き取ったそうです。
その日の午後、百合子さんは母親と一緒に父親を見舞い、その後自宅に戻ったのですが、深夜3時に容態が急変して、そのまま亡くなってしまったそうです。
父親の死に目に会えなかった百合子さんは、せめて母親だけは最後まで自分で看たいと思ったそうです。
父親である小池勇二郎さんの死からわずか4カ月後の、2013年9月16日、母親である小池恵美子さん(享年88)も後を追うように、この世を去りました。
小池百合子さんにとって、母親の恵美子さんは、常に自分の最大の理解者だったそうです。
小池百合子さんの父親である小池勇二郎さんは、2013年5月に90歳で亡くなりました。
また母親である小池恵美子さんは、2013年9月に88歳で亡くなりました。
自分の最大の理解者であるご両親を立て続けになくした小池百合子さんは、とても辛かったでしょうね。
エジプトのカイロに日本料理店を開く
学生時代、小池百合子さんが日本人としては珍しく、エジプトのカイロ大学に留学を決意すると、反対されるという予想を裏切り、「良いチョイスだね」と母親は大賛成してくれたそうです。
そして、百合子さんがエジプト留学から日本に戻ると、今度は恵美子さんが、「カイロで本格的な日本料理店を開く」と言い出しました。
その理由は、娘を訪ねてカイロに行った時、日本料理店で食べたすき焼きの味に不満を覚え、「自分が本当の日本食を現地で提供したい」と考えたからだったそうです。
専業主婦で、経営の素人だった恵美子さんは、当然ながら家族の猛反対を受けました。
しかし、それを押し切って開店。
最終的には、夫である勇二郎さんの支援も得て、20年間、カイロで店を切り盛りしたという豪傑女史だったそうです。
母親の恵美子さんはその後帰国し、百合子さんと一緒に暮らしました。
母親の恵美子さんと百合子さんは、よく政治や政策をめぐって、議論したりしたそうです。
小池百合子さんの母親がエジプトに開店した日本料理店の名前は「新ヤマト」。
まったく経営の経験がなかったにも関わらず、エジプトに出店するとは驚きですね。
かなり豪快な性格のお母さんだったようですね。
母親の病気は肺がん
そんな恵美子さんが病に倒れたのは、2012年秋のことでした。
検査で初期の肺がんが見つかりました。
しかし、恵美子さんは入院ではなく、自宅療養の道を選びました。
手術、抗がん剤、放射線などいろいろな選択肢がありましたが、すでに87歳の母親の恵美子さんは、残り少ない人生、がんと共生し、余生を楽しく過ごすことにしたそうです。
高齢のため、がんの進行も遅いだろうという判断でしたが…。
しかし、2013年夏の酷暑で、恵美子さんは食が細ってしまい、病院に入院することになり、再検査してみると、肺がんはもう末期の状態まで進行してしまっていました。
医師から「余命1カ月」と宣告されてしまいます。
かねてから母親は「延命治療は一切いらない。絡まるほどの管につながれたスパゲッティ状態にしないでほしい」と懇願していました。
前から「尊厳死協会に入りたい」と言っていたくらいで、自らの週末については明確な指針を持っていました。
恵美子さん自身の強い意志に加え、父親の最期に立ち会えなかったことへの後悔の念もあり、小池百合子さんは、母親を自宅に連れ帰りました。
そして、2013年9月16日に小池百合子さんの母親の恵美子さんは、自宅から旅立ったそうです。
小池百合子さんの母親の恵美子さんの病名は肺がんだったそうです。
延命治療などは一切せずに、娘に見守られながら自宅から旅立ちました。
以上が、熟考した結果都知事選に立候補された小池百合子さんの母親特集でした。