石川佳純さんが卓球を始めたのは小学1年生の時。
全長2メートル74の台で向かい合うこのスポーツでは特別早い方ではありません。
例えばリオデジャネイロ五輪代表の福原愛さんは3歳、伊藤美織さんは2歳の時に始めました。
石川佳純さんの母親である石川久美さんは、「人より遅かった」という認識だったそうです。
そんな母親の久美さんは、娘とともに休みなしの練習をして、それが実り、石川佳純さんは世界に羽ばたくことになることができました。
今回は、天才卓球少女として人気がある石川佳純さんの母親に注目してみました。
石川佳純の母親は石川久美
石川佳純さんが卓球を始めたのは小学1年生の時。
現役の卓球選手だった母親の石川久美さんは、同じく卓球選手の夫である石川公久さんと共に、自宅の1階を卓球場に改築し、卓球教室もオープン。
娘の佳純さんに対して英才教育を施しました。
石川佳純選手が小学5年生のころ、まだ現役だった久美さんとの母娘対決が、山口県山口市の大会で実現しました。
娘に敗れた久美さんは、これを機に引退を決意。
現在は年間30試合も海外を転戦する娘に帯同し、日本から米と炊飯器を持参して食事面からサポートしているそうです。
石川佳純さんは、卓球選手のご両親の厚いサポートを受けてきました。
石川家は、自宅の1階を卓球場に改築するほどでした。
母親の久美さんに卓球の引退を決意させたのは、娘との対戦でした。
母親の年齢や旧姓や出身高校は?
石川佳純さんの母親である石川久美さん。
石川佳純さんの年齢は現在23歳ですが、母親の久美さんの年齢は、現在53歳です。
ちなみに父親の公久さんも、妻と同い年の53歳です。
また、母親の石川久美さんの旧姓が気になりますが、現在はまだ公表がされていないようです。
そして、久美さんの出身高校についても、かなり昔の情報のため、正確なものがわかりませんでした。
世の親は、「どうして、お父さんの悪いとこばかり遺伝したのだろうか」「お母さんのここだけは、似てほしくなかったのに」と嘆きます。
しかし、石川家の場合は、結果オーライだったようです。
石川佳純さんの「負けん気」は、母親である久美さん譲り。
そして、父親の公久さんが伝えたのが、「なんとかなるさ」という楽天的な性格でした。
佳純さんが小学3年生、8歳の夏に完成した「卓球のおうち」も、この公久さんのいい意味での「場当たり的」な気楽さがあったからこそ出来上がりました。
有名スポーツ選手の母親の気になる旧姓ですが、あまり公表されていないようです。
今ほどインターネットが一般的でなかったというのが理由なのでしょう。
石川佳純さんには、ご両親の良い面が遺伝したようでよかったですね。
自宅に40畳の卓球場
石川佳純さんは、6歳から卓球を始め、7歳から本格的に練習に取り組んだ佳純さんには、すぐさま「難題」が持ち上がりました。
練習場がない。
母親の久美さんは、当初は車で1時間ほどかけて山口県防府市のスポーツセンターに通っていたが、だんだんとその往復2時間がもったいなくなってきた。
そんな次期と、家の建て替えの時期が重なった。
父親の公久さんが言い出しました
「じゃ、自宅を卓球場にしちゃえば」
公久さんは、いつもあまり先のことを考えないで、行動してから考えるそうです。
大きく出ておいて、そのために努力するタイプのようです。
自宅1階に完成した40畳の卓球場には、2台の卓球台、更衣室、トイレがある。
当時の石川佳純さんの練習は午後7時半から午後9時まで。
小学4年生のときには週1回の休みがあったが、5年生になるとなくなってしまいました。
そして佳純さんの快進撃も「卓球のおうち」とともに始まりました。
4年生のときは全日本卓球選手権カブの部(小学校4年以下)でベスト16、5年生ではホープスの部(小学校6年以下)でベスト8、そして6年生では優勝。
母親の久美さんに勝利したのも5年生の時でした。
公久さんの性格は、佳純さんのゲーム運びにも表れていると久美さんは話します。
「佳純は、緊張しないんです。全日本選手権などの大舞台でも、まったく普段と同じプレーができる。それに、リードされていても、まるで大差で勝っているように、のびのびと打ってくる」
公久さんと久美さんが、佳純さんを中学校から大阪に送り出したのも、そんな「イージーゴーイング」な性格だからこそであったのかもしれません。
自宅を「卓球のおうち」に改装してしまった石川家。
まさに親子で勝ち取った、石川佳純さんの現在のステージなのかもしれません。
以上が、天才卓球少女として人気がある石川佳純さんの母親特集でした。