歌手活動を休止していたシンガーソングライターの大黒摩季さん。
2016年8月から、歌手活動を再開することがわかりました。
大黒摩季さんは、北海道札幌市南区の出身。
実家は老舗菓子札幌キムラヤで、製パン業をされています。
今回は、ヒット曲「ら・ら・ら」が有名、シンガーソングライター大黒摩季さんの父親に注目してみました。
大黒摩季の父親は札幌キムラヤの元社長
大黒摩季さんの父親の名前は、大黒正芳さんといい、パン製造業の「株式会社札幌キムラヤ」の元社長さんです。
株式会社札幌キムラヤ(さっぽろきむらや)は、北海道札幌市南区に本社を置くパン、菓子のメーカーです。
木村屋總本店より正式屋号の称号をもらいのれん分けをした製パン企業の一つです。
販売圏は、北海道エリアに及び、酒種を使用したあんぱん・北海道産小麦を用いた無添加食パンなどが有名です。
1927年に東京都中央区銀座にある木村屋總本店より正式屋号の称号をもらいのれん分けをし、「株式会社札幌キムラヤ」を創業。
2000年3月に、大黒摩季さんの父親である大黒正芳取締役会長が死去し、大黒摩季さんの弟である大黒礼騎さんが取締役社長に就任しました。
大黒摩季さんの父親の職業は、大会社の社長さんだったのですね。
株式会社札幌キムラヤは、北海道ではかなり有名な会社のようです。
摩季さんの父親である大黒正芳さんは、かなり優秀な経営者だったようです。
父親が急死 弟が社長就任
しかし、大黒摩季さんの実家で、弟が社長を務めていた札幌市のパン製造業「札幌キムラヤ」は、2002年に、札幌地裁に民事再生手続きの開始を申請しました。
札幌キムラヤは、大黒摩季さんの父親である大黒正芳さんが業務を拡大し、調理パンや和洋菓子などの大手スーパーへの大量出荷を開始、ピーク時の平成9年5月期には、10億円を超える売り上げがありました。
2000年3月に大黒正芳さんが急死した後は、大黒摩季さんの弟である大黒礼騎さんが社長に就任し、社員60人、パート90人を率いていた。
民間信用調査会社の東京商工リサーチ北海道支社の調べでは、長引く消費低迷と競争激化に陥り、売り上げが年々減少。
また、身体障害者の雇用に積極的で、工場をバリアフリー化。
この設備投資など金融負債が重荷になったそうです。
札幌キムラヤは、摩季さんの父親の大黒正芳さんにより、急速に業務を拡大していきました。
しかし、正芳さんが急死してしまい、勢いが失速。
摩季さんの弟である大黒礼騎さんが、社長に就任するも、民事再生手続きの開始を申請することになってしまいました。
大黒摩季さんが歌手活動を再開
そんな大黒摩季さんですが、子宮疾患の治療や不妊治療のため、2010年11月から歌手活動を休止していました。
しかし、2016年6月19日、大黒摩季さんが歌手活動を再開させることが分かりました。
2016年8月から活動を再開するようです。
デビューから1999年まで所属していた古巣レコード会社ビーイングにも17年ぶりに復帰する。
5年10カ月ぶりの復帰ステージに選んだのは、故郷の北海道でした。
8月11日、高校時代に初ステージを踏んだライブハウス、札幌・ベッシーホールでファンクラブ限定ライブを行う予定になっています。
大黒摩季さんは病気の治療のため、歌手活動を休止していました。
しかし、いよいよ歌手活動を再開されるようです。
復帰ステージは、自身の出身地である北海道のライブハウス。
そのパフォーマンスが、今から楽しみですね。
以上が、ヒット曲「ら・ら・ら」が有名、シンガーソングライター大黒摩季さんの父親特集でした。