世界屈指のビッグクラブであるACミランで10番を背負う本田圭佑さん。
現役のサッカー選手でありながら実業家としても活動されています。
4月24日には新ブランドの立ち上げを発表。
ブランド名は名前の「KEISUKE」から取った「KSK」。
しかし、本格的に新ブランドを展開しようと検討していた矢先に、タレントのDAIGOさんがブランドと同名の新曲「KSK」をリリース。
ネーミングが丸かぶりしてしまった本田圭佑さんとDAIGOさんとの「KSK」問題が勃発しているとのことです。
今回は、DAI語に戸惑うサッカー選手、本田圭佑さんの父親に注目してみました。
本田圭佑の父親の職業は卸業
大坂市中心部から北東に約12キロ。
関西を代表する1級河川・淀川と近畿自動車道が交差する摂津市にある、大阪モノレール・南摂津駅から歩いて数分。
小さな工場が点在する地域に、現在も本田圭佑(ほんだ けいすけ)さんの実家があります。
昭和30年代に建てられた木造2階建て。
同じ間取りの長屋風の家屋がひしめき合う。
敷地は20坪あまりで1回は4畳一間と台所だけ。
2回も6畳和室と小さなベランダしかない。
本田圭佑さんは中学卒業まで、家族と肩を寄せ合いながらここで暮らしてました。
一家は本田さんの幼少期から裕福ではなかったそうです。
本田圭佑さんの父親は、若い頃から仕事が長続きせず、それでいて野心家でした。
圭佑さんが小学校に上がる頃は、外国からマツタケなどの野菜を輸入する卸業が軌道に乗り、現在でも本田圭佑さんの父親の職業も野菜の卸売りをされているようです。
現在はプロサッカー選手としてだけでなく、実業家としても活躍する本田圭佑さん。
実の父親も、起業家精神旺盛な野心家だったようです。
輸入野菜の卸業の仕事を軌道に乗せた父親の血を圭佑さんも引き継いでいるようです。
本田圭佑の父親の名前は司
本田圭佑さんの父親の名前は、本田司さんと言うそうです。
司さんの仕事は輸入野菜の卸業をされていますが、その浮き沈みが激しい生活による心労と子育てが重なったのか、本田圭佑さんの実母は次第に精神が不安定になり、圭佑さんが小学2年生の頃に離婚し、岡山の実家に戻ってしまったそうです。
残された長男・弘幸さんと圭佑さんの兄弟は、司さんと同居していた祖父・満さんと祖母・晶子さんの手によって育てられることになりました。
祖父の満さんは、圭佑さんらを引き取った頃、ガスボンベを工場などに運ぶ運転手をされていました。
ある程度のお金は稼げましたが、それだけでは育ち盛りの弘幸さんや圭佑さんを食べさせてはいけない。
2人の他に、家には司さんの姉の子で圭佑さんと同級生のようちゃんという子も預かっていました。
なので、祖母の晶子さんは、清掃業や食堂の皿洗いなどの仕事を常に3つぐらい掛け持ちしていたそうです。
2人とも朝から晩まで必死には働いていました。
そんな状態だったので、子供たちは学校から帰ってきても、自宅には誰もいない。
親の愛情を知らず、小さい頃から何でもひとりでやらないと生きていけない環境でした。
起業家精神旺盛な父親との生活は浮き沈みが激しく、ご両親は離婚してしまいます。
実の母親は、実家に戻ってしまったようです。
祖父と祖母に育てられた圭佑さんですが、こっそり母親に会いに行ったりしたこともあるそうです。
父親もサッカー経験者
そんな本田圭佑さんの寂しさを紛らわしてくれたのがサッカーでした。
圭佑さんの父親である司さんが高校時代にサッカー経験があったこともあり、圭佑さんは幼少期から兄と自宅前の道路や近くの公園、空き地でボールを蹴り続けました。
夏場にはやぶ蚊が飛び回り、異臭の漂うドブ川にボールが落ちてもお構いなし。
冬場でも半袖、半ズボンの薄着でサッカーに熱中していたそうです。
小学2年時からは兄を追うように、地元のクラブチームである摂津FCに入団。
本格的にサッカーに没頭することで、貧しさ、母親への追慕の念を消し去っていったそうです。
本田圭佑さんの父親も高校時代にサッカーをプレイしていたようです。
幼い頃からサッカーに没頭していた圭佑さん。
当時から、人一倍負けず嫌いな性格だったようです。
今回は、DAI語に戸惑うサッカー選手、本田圭佑さんの父親TKS(特集)でした。