宇多田ヒカルの母親は精神の病に悩んでいた病名は統合失調症

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宇多田ヒカルさんは母親の芸能人で、演歌歌手として活躍した藤圭子さんです。

宇多田ヒカルさんもセンセーショナルなデビューでしたが、実は母親の藤圭子さんのデビューもなかなかセンセーショナルなものでした。

しかし、晩年は精神の病に悩まされ、さまざまな苦労をされたようです。

今年の4月に5年ぶりに歌手として本格的に再始動した宇多田ヒカルさん。

朝ドラ「とと姉ちゃん」の主題歌である「花束を君に」は、4月15日からフルバージョンが配信されています。

宇多田ヒカルさんの母親は、演歌歌手としてヒット曲を連発した藤圭子さん。

晩年は、娘の宇多田ヒカルさんと確執があり不仲だったのではないかとも言われています。

しかし、今回の「花束を君に」の歌詞は母親の藤圭子さんに捧げたものという話もあります。

宇多田ヒカルさんと母親の藤圭子さんには確執があったと囁かれていますが、
やはり親子の愛情というものは強いもののようです。

今回は天才アーティスト宇多田ヒカルさんの母親である藤圭子さんに注目してみました。

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宇多田ヒカルの母親は藤圭子

宇多田ヒカル(うただ ひかる)さんは、ニューヨーク州出身のシンガーソングライターです。

1998年から2002年にかけて、従来よりポピュラーに洗練させたR&Bのテイストを持つ音楽を発表し、日本のR&Bブームの発生に対して大きく寄与されました。

日本の音楽史上、最多の売り上げを記録した「First Love」を筆頭に、オリジナルアルバム歴代売り上げの上位トップ2を独占しています。米国居住時代の1993年に、父親である宇多田照實(うただ てるざね)さんと母親である藤圭子(ふじ けいこ)さんとのファミリーユニットで「STAR」という曲を発表します。

また同じく米国で1997年にCubic U(宇多田家の3乗の意味)としてソロシングル「Close To You」とアルバム「Precious」を発表します。

そして1997年の秋、東京のスタジオでレコーディングしていたところ、隣のスタジオにいたディレクターの三宅彰さんの目にとまり日本デビューを持ち掛けられます。

宇多田ヒカルさんは、アメリカでCubic Uとしてソロデビューを控えていたため、当初は戸惑ったものの、三宅さんの熱心な説得により1998年1月28日に「Precious」を日本で発売し、12月に「宇多田ヒカル」としてデビューすることになりました。

1998年12月、宇多田ヒカルとして1作目のシングル「Automatic/time will tell」でデビュー。

プロモーションはラジオ出演のみでしたが、FMラジオや外資系CDショップのプッシュから一気に火が付き、デビュー曲はいきなりミリオンセールスを記録しました。

わずか1枚のシングルだけで音楽メディアはもとより、一般の週刊誌やワイドショーまでセンセーションを巻き起こしました。

そして、宇多田ヒカルさんが15歳で作詞作曲を手がけていることやアメリカで生活していた帰国子女で、かつての演歌歌手・藤圭子さんの娘だということが分かり世間を驚かせました。

宇多田ヒカルさんの「Automatic」でのデビューはあまりにも衝撃的でしたね。

宇多田さんの登場によって日本の音楽シーンに与えた影響は計り知れません。

母親が藤圭子さんだったという事実も世間を騒がせました。

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演歌歌手でヒット曲を連発

宇多田ヒカルさんの母親である藤圭子さんは、岩手県一関生まれ北海道旭川市育ちの演歌歌手です。

藤圭子さんは、幼い頃から浪曲の歌手であった阿部壮(あべ つよし)さん、三味線瞽女(しゃみせんごぜ)であった母親の竹山澄子さんの門付(かどづけ)に同行していたそうです。

門付とは、日本の大道芸の一種で、門口に立ち行い金品を受け取る形式の芸能です。

藤圭子さんは旅回りの生活を送り、自らも歌ったりしたそうです。

勉強好きで成績優秀でしたが、貧しい生活を支えるために高校進学を断念します。

17歳の時に岩見沢で行なわれた雪祭り歌謡大会のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目にとまり、上京します。

約1年間、初代林家三平さん宅に下宿します。

1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビューします。

以後、作詞家の石坂まさをさんと組んでヒット曲を連発します。

女性ハスキーヴォイスの先駆者である青江三奈さんとはまた異なる魅力を持った、ドスの効いたその声は、可憐な風貌とのギャップも相まって、当時の社会に衝撃を与えました。

ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位。

間をおかずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。

計37週連続1位という空前絶後の記録を残します。

そのヒットから、テレビアニメ「さすらいの太陽」のヒロインのモデルにもなりました。

1971年、当時ともに絶頂期であった内山田洋とクール・ファイブのボーカルの前川清さんと結婚しますが、大スター同士の結婚生活はすれ違いが重なり、翌1972年に離婚することになりました。

1974年、喉のポリープ手術を受け、かつてより歌に幅がなくなったことを悔やみ、引退を考え始めたそうです。

最愛の母親を父親のDVから守るために離婚させ、それを契機に引退を発表します。

歌手を引退した後は、再婚した夫の宇多田照實さんが代表取締役を務める有限会社ユースリー・ミュージックの取締役として登記され続けました。

ユースリー・ミュージックは娘で歌手の宇多田ヒカルさんが所属する事務所です。

宇多田ヒカルさんもデビューからヒットを連発しましたが、実は母親の藤圭子さんもヒット曲を連発していたのですね。

さすが親子だということでしょうか。

人気者になる才能が受け継がれたということなのでしょう。

精神の病に悩んでいた病名は統合失調症

輝かしい経歴の藤圭子さんですが、実は精神の病に悩まされていたということを娘の宇多田ヒカルさんがブログで告白しています。

宇多田ヒカルさんは自らのブログに、母親の藤圭子さんが「精神障害」を持っていて、家族として悩まされてきたと綴っています。

彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。

その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。

幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。

症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました

私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。

宇多田ヒカルさんの母親である藤圭子さんの精神の病の病名ですが、一説によると統合失調病だったのではないかと言われています。

統合失調症とは精神機能のネットワークがうまく働かなくなる状態をいいます。

私たちは喜びや怒り、悲しみ、楽しみといったさまざまな感情をもっています。

また、「人間は考える葦である」という言葉があるように、私たちは常に思考しています。

こうした感情や思考は、脳内の精神機能のネットワークを使って行われています。

ところが、何らかの原因でさまざまな情報や刺激に過敏になりすぎてしまうと、脳が対応できなくなり、精神機能のネットワークがうまく働かなくなることがあります。

そのため、感情や思考をまとめてあげることができなくなります。

この状態が統合失調症です。

統合失調症とは、このように脳内の統合する(まとめる)機能が失調している状態をいいます。

精神機能のネットワークは脳内のさまざまな場所で行われています。

その不調の場所によって、実在しない人の声が聞こえるなどの現実にないものをあると感じる幻覚が現れたり、周りで自分の悪口を言われていると思いこむ被害妄想が出たりなど、さまざまな症状が出現します。

統合失調症の症状は大きく、幻覚や妄想などの「陽性症状」、意欲の低下などの「陰性症状」、臨機応変に対応しにくい「認知機能障害」に分けられます。

宇多田ヒカルさんの母親である藤圭子さんは、統合失調症という病気に悩まされていたようです。

統合失調症によって感情的に不安定になって、感情の起伏が激しかったりしたのでしょうか。

以上が天才アーティスト宇多田ヒカルさんの母親である藤圭子さんの特集でした。

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