ふかわりょうさんといえばお笑いタレント、俳優、エッセイストとして活躍する一方で、ロケットマン名義でミュージシャン、DJとしても活動されている多彩な人物です。
現在では「5時に夢中!」での司会としての活躍が注目されています。そんなふかわりょうさんの実家ですが、かなりのお金持ちであるといわれています。
ふかわりょうさんといえば内村プロデュースで内村光良さんとの掛け合いが最高でした。
今回はそんなふかわりょうさんの母親について注目してみました。
ふかわりょうの母親の実家は染物で財を成した豪商
ふかわりょうさんの母親の実家は有松・鳴海絞り(ありまつ・なるみしぼり)という染物で財を成した豪商で、3代目歌川広重(うたがわ ひろしげ)にその店の絵を描かせたほどらしいです。
そしてふかわりょうさんの父親は、水力発電の技術者をしていて、また北斗の拳や花の慶次で有名な原哲夫さんがいとこにあたるそうです。
ふかわりょうさんの母親の実家が財を成した染物である有松・鳴海絞りとは、愛知県名古屋市緑区の有松・鳴海地域を中心に生産される絞り染めの名称です。
江戸時代以降日本国内における絞り製品の大半を生産していて、国の伝統工芸品にも指定されています。
「有松絞り」、「鳴海絞り」と個別に呼ばれる場合もあります。木綿布を藍で染めたものが代表的で、模様については他の生産地に類を見ない多数の技法を有するそうです。
江戸時代には絞り染めの生産の中心は一貫して有松地域でしたが、正式な宿場ではない有松は旅人の停留する所ではなく、東海道五十三次の一つであった鳴海宿においても販売を行ったことから、有松絞りも江戸ではもっぱら「鳴海絞り」と呼ばれていたそうです。
ふかわりょうさんの母親の実家は、江戸時代から続く有松絞りという染物で財を成した豪商だったのですね。
ふかわりょうさんは実はかなりお金持ちの家で暮らしていたのですね。
幼少時からピアノを習ったりしていたそうで、裕福だったということがわかります。
3代目歌川広重
歌川広重は江戸時代末期の浮世絵師で、本名は安藤重右衛門。江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師になったそうです。
ゴッホやモネなどの画家に影響を与えたと言われていて、世界的にも著名な画家として知られています。
2代目歌川広重は、初代の門人で俗称を森田鎮平といい、号は重宣というそうです。初代の養女のお辰と結婚しましたが、のちに離縁してしまったそうです。
3代目歌川広重も、初代の門人であった重政で、俗称は後藤寅吉というそうです。2代目と離縁したお辰を妻としたことが知られています。号は一笑斎。
この3代目歌川広重が、ふかわりょうさんの母方の実家である有松絞りの染物屋さんの絵を描いたということになります。
ふかわりょうさんの母方の実家の染物屋さんは、かなりの豪商だったのですね。
浮世絵で有名な歌川広重さんの3代目にお店を描かせるとは凄いですね。
江戸時代では誰もが知っているような有名な染物屋さんだったと思われます。
岡本夏生と大バトルを展開
ふかわりょうさんの最近ですが、岡本夏生さんと絶縁したということが話題となっています。ふかわりょうさんと岡本夏生さんは、4月11日に行なわれたトークイベントで大バトルを展開。
イベントは3日間の予定でしたが、岡本さんはその後の出演をキャンセルし、ふかわりょうさんとの絶縁を宣言されtました。
岡本さんはふかわりょうさんについて「人間として尊敬して頼っていた部分があったが、今回そのすべてがなくなった」とし、イベント以降一切連絡を取りあっていないようです。
ふかわりょうさんと岡本夏生さんの大バトルは、岡本さんの失踪が発端でした。開催2週間前から連絡が取れなかったのですが、開演1時間前に岡本さんが会場に現れて無事にスタート。
しかし、イベント中にある芸能人の名前が出たことで、岡本夏生さんが「聞いてない。打ち合わせしなさいよ」と一喝したことが引き金だったそうです。
ふかわりょうさんと岡本夏生さんの絶縁騒動はかなり話題になっていますね。
イベントでバトルの引き金となった芸能人の名前が気になるところです。
以上が、ふかわりょうさんの母親についての特集でした。