流行語大賞にもノミネートされた「福山ロス」。
独身俳優最後の砦といわれた、あの福山雅治さんの結婚報道に、日本列島が震撼してしまいました。
日本中がテレビニュースに釘付けになった、福山雅治さんと吹石一恵さんの入籍発表は、記憶に新しいところですよね。
そうはいっても、お似合いのお2人には、是非幸せになってもらいたいものです。
「福山ロス」に陥った方も、そうでない方にもおすすめなのが、同じ40代の独身俳優の加瀬亮さんです。
演じる役によって、全くの別人となる彼の高い演技力と、少年のような笑顔に癒やされる女性ファンが続出しています。
今回は、そんな40代の独身、実力派俳優の加瀬亮さんの父親に注目してみました。
加瀬亮
本名 加瀬亮(かせ りょう)
生年月日 1974年11月9日(41歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長 174cm
血液型 B型
事務所 アノレ
加瀬亮の父親は社長?双日?名前は?
俳優の加瀬亮さんといえば、映画「PICNIC」「FRIRD DRAGON FISH」を見て、俳優の浅野忠信(あさの ただのぶ)さんに憧れ、浅野さんの所属事務所であるアノレに手紙を送って、中央大学商学部を中退後、1998年に同事務所所属となりました。
高い演技力と存在感で人気の俳優、浅野忠信さん。
浅野忠信さんの付き人からスタートし、1年間経験後「バトル・ロワイアル」などの現場に制作スタッフとして参加しながら、2000年に映画「五条霊戦記」(石井聰互監督)でスクリーンデビュー。
以降、映画を中心に活動を続け、CNNの「まだ世界的に名前は売れていないが、演技力のある日本の俳優7人」の一人に選ばれました。
そんな加瀬亮さんの父親は、会社の社長を務めるほどのスゴイ人だったのです。
俳優の加瀬亮さんの父親の名前は、加瀬豊(かせ ゆたか)といい、1947年2月19日生まれで、現年齢は、69歳です。
出身地は千葉県で、現在は日本の総合商社・双日(そうじつ)株式会社の代表取締役会長で、アステラス製薬社外取締役でいらっしゃいます。
加瀬亮さんの父親である加瀬豊さんは、埼玉県立浦和高等学校から東京大学経済学部に進学し卒業。
2007年4月に双日代表取締役社長に就任し、その後、2012年4月1日付で代表取締役会長に就任されます。
日商岩井時代に、アメリカ合衆国ワシントン州ベルビューでの勤務を経て、1986年に人事部に就任し、縁故採用を原則廃止するなどの改革を実行、実力主義の人材登用を行ってきたことで知られている。
その後、ニュージーランド支社長などを経験されます。
ナイキのフィリップ・ナイト会長とアメリカ時代に人脈を持ち、個人的にも親しい仲であるそうです。
1998年の日商岩井の経営危機の際には、この関係が役立ち、アドバイスを得るなどしました。
元日商岩井社長で第28代日本銀行総裁の早見優(はやみ まさる)さんの死去の際は、当時の第30代日銀総裁の白川方明(しらかわ まさあき)さんとともに「お別れの会」の実行委員代表をつとめました。
俳優の浅野忠信さんに憧れて、俳優の道を選んだ加瀬亮さん。
そんな加瀬亮さんの父親は、世間も驚く大企業の会長さんでした。
東大を卒業後、出世街道を一直線の父親を持つ、加瀬亮さんなのでした。
画像は?日商岩井?
貫禄たっぷりの大物といった感じですね。
俳優の加瀬亮さんの父親である加瀬豊さんは、双日という総合商社の会長さんです。
双日という会社名よりも日商岩井と言ったほうが、ピンとくる方も多いかもしれません。
双日という会社は、あの有名な日商岩井がニチメンという会社と合併してできた、とても大規模な会社なんですね。
そんな大企業のトップである人物を父親にもつ加瀬亮さんに貧乏なんてありえません。
資産的なことを言えば、父親の加瀬豊さんは、双日の会長といってもサラリーマンなわけで、森泉さんの祖母である森英恵さんのような莫大な資産はないですが、社会的立場を考えれば、芸能人の親としては、小泉孝太郎さんの父親である、元総理大臣の小泉純一郎さんの次にくるぐらいのお偉い方です。
双日は商社でありますが、芸能界にとってはスポンサー的な立場にありますから、当然、加瀬亮さんの父親は、芸能界に多大な影響力を持つと考えられます。
ということは、そんな人物を父親に持つ加瀬亮さんの芸能界での活動は、順風満帆なものだったに違いないと思われます。
双日という大企業のトップを父親に持つ加瀬亮さん。
そんな父親の後ろ盾があれば、芸能活動を行っていく上で、有利になりそうです。
しかし実際には、父親の威光に頼らず、実力で勝負したようです。
絶縁?貧乏暮らし?浅野忠信?
ところが、加瀬亮さんの無名時代を知る方の話によると、加瀬亮さんは、売れなかった頃も、ほとんど父親から経済的な援助を受けてなかったようです。
加瀬亮さんは、お父さんの加瀬豊さんから役者になることを酷く反対されたようです。
役者を目指してからは、ほぼ絶縁状態だったようです。
加瀬亮さんのお父さんが、凄く偉い人だというのは、周りの役者仲間は、みんな知っていたけれども、あえてそのことには触れないようにしていたそうです。
加瀬亮さんも、そのことに触れられるのが嫌だったようです。
そして、お父さんからは、経済的な援助を一切受けていなかったようです。
20代の頃の加瀬亮さんは、凄い貧乏暮らしをしていたそうです。
このような話から、どうやら加瀬亮さんは、世間でいわれているような「おぼっちゃま役者」であるというのは、間違いのようです。
加瀬亮さんは父親からの援助は、ほとんど無かったようですが、師と仰いだ浅野忠信さんからは、とても可愛がられたようで、加瀬亮さんが、お腹が減ったときは、浅野忠信さんが、しょっちゅうご飯を奢ってくれたり、ご飯代として、お小遣いをくれていたそうです。
加瀬亮さん自身も「今の自分があるのは、浅野さんのおかげ」と言っていて、今でも尊敬する役者として浅野忠信さんの名前を挙げています。
大企業のトップである父親から、ほとんど経済的な援助を受けなかった加瀬亮さん。
父親に大反対されても、自分のやりたい事を選択した凄い方だったんですね。
以上が、そんな40代の独身、実力派俳優の加瀬亮さんの父親特集でした。